
明智光秀を討ち、天下人の座を目指す羽柴秀吉は、官位も急上昇していきます。
まず、秀吉は、天下人としての地位を示すべく、征夷大将軍の地位を目指し、毛利領の鞆に逃れていた現将軍の足利義昭の養子になろうとしたとされます(真偽不明)。ところが、名門意識の高い足利義昭は、農民の子の秀吉を養子にすることを拒み、話はとん挫したと言われています。
なお、もしこの話が事実であれば、年代・場所的にみて官兵衛が噛んでいた可能性が高いのではないかと思います。また、旧主君の小寺政職の家族を保護したのも同じ時期ではないかと推察されます。
この時代、武家の官位と宮中の官位は別物とされていませんでしたので(※)、異分子秀吉の官位が急上昇したことにより、ポストが減り、公家の昇任が混乱してしまいます。
ちなみに、この時点での公家の最高位の関白は、さこの方(斎村政広の姉で龍野赤松の赤松政秀(新)の娘で織田信長の養女で足利義昭の元嫁)の夫の二条昭実でした(⇒
第119話)。
※ 武家の官位が宮中の官位と別となったのは秀吉の死後、徳川家康が定めたためです。
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