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第188話 第二次木津川口の戦い

戦え!官兵衛くん 第188話
 天正4年(1576年)7月の第一次木津川口の戦いで、毛利水軍は織田水軍に圧勝し、大量の兵糧を本願寺に搬入します(⇒第146話)。
 毛利水軍に対抗すべく、織田信長は九鬼義隆に命じ、6隻の鉄張の巨大戦艦、鉄甲船を完成させます(⇒第175話)。

 毛利水軍は、天正5年(1577年)11月6日、再び大阪湾に襲来します。しかし、織田水軍の新兵器、鉄甲船には毛利水軍の焙烙玉(煙硝玉)も通用せず、毛利水軍は敗北を喫します。
 これにより、織田水軍は大阪湾東部周辺の(ごく一部の)制海権を奪取します(★)。
 この第二次木津川口の戦いは、官兵衛が荒木村重により、有岡城に幽閉された直後のことでした。

 本願寺の海上封鎖に成功したことにより、織田軍は次第に本願寺と荒木村重を追い詰めていくことになります。

★ 相変わらず、播磨灘から西の制海権は毛利に握られたままです。
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大河ドラマ軍師官兵衛 第13話「小寺はまだか」 あらすじ・感想

 前回、かなり面白くなってきた軍師官兵衛。今回も面白いです!この調子で!

 それでは、あらすじ。
 紆余曲折の末、ようやく播磨に羽柴秀吉の軍勢が進駐してきました。
 黒田官兵衛は姫路城を秀吉に献上し、秀吉が姫路城に入ります。官兵衛は本丸を秀吉に明渡し、家族は納屋のようなところで生活します。
 秀吉に面会すべく、姫路城に播磨の諸将が参上しますが、三木の別所長治と御着の小寺政職等は、姫路城に現れませんでした。

 黒田官兵衛は羽柴秀吉と義兄弟の契りを結んだことで、舞い上がり気味。秀吉に会うよう説得しに行った小寺政職からも白けられてしまいます。
 半兵衛の説得を受けた官兵衛は、舞い上がり気味のテンションを軌道修正します。

 一方、摂津では、荒木村重が本願寺との戦いに苦悩しています。荒木村重(演:田中哲司)、高山右近(演:生田斗真)の演技はGOOD!です。田中哲司さんの好演も光りますが、生田斗真さんは、意外に時代劇にマッチしています!

 羽柴秀吉は小者のふりをして御着城に乗り込み、小寺政職との面会を果たし、小寺政職の協力を取り付けます。
 東播磨~中播磨を抑えた秀吉軍は、織田と敵対する上月・福原を討つべく、西播磨に乗り込みます!

(突っ込み)
・この時点では、官兵衛は姫路城を秀吉の宿営に一時使用させただけで、献上するのはもっと後なんですが...
 そもそも、兵力500人の当時の姫路城に、総勢7500人の秀吉軍がどうやって入るのかと...

・秀吉と義兄弟になったことで、テンション上げ上げの官兵衛くん。小寺の殿からすれば、家臣が上司(秀吉)の義理の弟になったという訳で、小寺政職に秀吉と義兄弟になった云々とか話題にするような話ではないだろうと...
 ちなみに今回出てきた中川清秀さんも秀吉と義兄弟ですし、反織田派の中心人物の別所賀相に至っては、舅(妻の父、畠山昭高⇒第71話)が、織田信長の義弟です。

・秀吉は御着の小寺政職に会わずに姫路入りしたようですが、御着は姫路とは山陽道沿いの隣町ですので、どうやって御着を通らずに姫路入りしたのは謎...

・官兵衛は、福原城を囲師必闕の戦法を用いて落城させようとさせますが、福原城は北と東が山、西と南が川という山の裾野にある城ですので、山側に逃走ルートを開けてしまうと、追撃するのが非常に難しくなります(⇒第161話の最初のコマが地図になっています)。
 どうやって、落とすのかと思っていたら...福原城の南側が森?
 福原城の地図がニセモノにすり替わっていますがな( ゚Д゚)

第187話 官兵衛の幽閉 

戦え!官兵衛くん 第187話
 黒田官兵衛は、伊丹有岡城に入り、荒木村重に謀反を止めるよう説得しますが、聞き入れられず、逆に城内本丸の牢に幽閉されてしまいます。

 荒木村重によれば、小寺政職から官兵衛を捕えるようにとの連絡があったとのことでした...

 一方、御着では、官兵衛の主君小寺政職は、織田信長への謀反を起こします。小寺政職は、毛利氏重臣の小早川隆景に、御着に続いて姫路の黒田家も謀反に同調する旨を連絡します...

 次回、いよいよ毛利水軍と織田水軍が激突します!

第186話 小寺政職の謀反③

戦え!官兵衛くん 第186話
 播磨に反信長の嵐が吹き荒れます。ついに、侵略者信長の魔の手から、播磨を救うため、御着城主小寺政職が立ち上がります! 御着城主小寺政職は、反信長勢力に囲まれたため、織田から毛利へとの鞍替えを図るべく、荒木村重と共に信長への謀反を計画していました。

 天正7年(1579年)秋、黒田官兵衛は、主君小寺政職を説得すべく、御着城を訪れますが、小寺政職の決意は固く、謀反を止めさせることはできませんでした。
 しかし、荒木村重が謀反を中止すれば、小寺政職は謀反を止めるとの言質を得ました。そこで、天正7年11月5日(★)、官兵衛は単身、荒木村重を説得すべく伊丹有岡城へ乗り込みます。

 折しも、毛利水軍の大艦隊が、鉄甲船を擁する織田水軍との決着を付けるべく,瀬戸内海を東へと進んでいました。播磨灘を東進する毛利の艦隊は、姫路からも良く見えたはずですし、荒木村重・小寺政職にも情報が伝わっていたはずです。この漫画では、官兵衛は、毛利水軍と織田水軍の対決を荒木村重説得の材料に使うつもりではなかったという想定で書いています。

 ★ 官兵衛が伊丹有岡城に入った日には諸説あります。 

第185話 荒木村重の謀反③

戦え!官兵衛くん 第185話
 織田信長は、敵対する本願寺を包囲するため、本願寺の周囲に砦を築き、一部は荒木村重に担当させていました。
 荒木村重の謀反の報を受け、織田信長は荒木村重の担当する砦に派遣した目付を身の安全を心配します。
 荒木村重の謀反にあたって、荒木は信長の側近である目付を殺害するものと予測されていましたが、砦に派遣された目付は無事でした。
 ひょっとすると、荒木村重は目付を殺害するのをためらい、目付たちを見逃したのかもしれません...

 信長は、荒木村重の下へ明智光秀、羽柴秀吉、松井友閑等を派遣し、説得にあたらせますが、失敗します。

 このような事態に、黒田官兵衛も荒木村重説得に乗り出します。
 官兵衛の主君、御着城主小寺政職も荒木村重に同調して、謀反を準備していたからでした...

 次回、小寺政職さんが播磨の危機を救うべく立ち上がります!官兵衛の運命が一転します!

第184話 平井山の戦い

戦え!官兵衛くん 第184話
 天正6年(1578年)10月22日、三木城の別所軍は、三木城を包囲する羽柴秀吉の軍勢を奇襲します(平井山の戦い、平井山合戦)。
 この平井山の戦いは、天正6年10月に発生したのか、天正7年2月に発生したのか、争いがあります。天正6年10月が最近の通説となっているので、戦え!官兵衛くん。では天正6年10月説で描いています。
 天正6年10月説だと、荒木村重の謀反の直前となりますので、荒木村重造反の連絡や、10月15日の平井山の茶会に刺激された別所軍の暴発的行動と評価されることが多いです。

 天正7年2月説ですと、竹中半兵衛重治の最後の大活躍となります。平井山の戦いの後、竹中半兵衛は,天正7年4月に病に倒れ、6月に平井山の陣中で没します。

 三木城主別所長治の叔父で反信長派の急先鋒である別所賀相率いる別所軍は、突如、三木城から出撃。三木城を包囲する中村一氏の陣中をめがけて奇襲をかけます!
 しかし、これは別所軍の陽動でした。中村一氏の陣に直進するかと思われた別所軍は、急に東に進路を変え、羽柴秀吉の本陣を目指し、突撃します。
 だが、羽柴秀吉の参謀である竹中半兵衛に作戦を読まれ、逆に別所軍は羽柴秀吉の軍勢に包囲攻撃されてしまいます。別所長治の弟の治定が戦死するなど、別所軍は大損害を被りますが、別所賀相は辛くも三木城に逃げ帰ることに成功します。

 もっとも、別所軍の敗北にも関わらず、荒木村重・小寺政職は織田信長への謀反の動きを変えることはありませんでした...
 黒田官兵衛の運命は大きく一転することになります...

(突っ込み&ネタバレ)
 ノベライズ本によれば、大河ドラマ軍師官兵衛では、「平井山の戦い」をやらないようですが、なぜなんでしょうか。三木合戦(三木城の戦い)は、竹中半兵衛の智謀が光る「平井山の戦い」の他に、羽柴秀吉が非情な決断を迫られる「大村の戦い」等、見せ場が結構あるんですが...それに、小寺政職だって、あんなヘタレじゃないです(^_^;)
 また、天正7年2月説で行けば、有岡城に囚われた黒田官兵衛が不在の中、喀血しながらも最後の命の炎を燃やし、別所の策略の裏をかく竹中半兵衛という燃える場面が描けるのですが...

 

 

第183話 小寺政職の謀反②

戦え!官兵衛くん 第183話
 御着城主小寺政職は、幼い頃、備前守護代の浦上村宗、所司代(★)の松田元陸等により播磨を追われ、淡路での逃亡生活を送りました。
 播磨の混乱に付け込んだ但馬の山名軍の侵攻の際に、小寺村職(別名小寺政隆。小寺政職の祖父)は播磨への帰還を果たします。

 一連の騒動で、小寺政職は戦国大名の権力は脆いものであり、また、家臣・領民の支持なしでは成り立たないことを身をもって知ることになりました。

 小寺政職は、家臣・領民の織田信長に対する反感を無視することはできず,荒木村重と共に織田信長への造反を決意することになります。

 ★ 所司代とは、京都の警察長官の職です。

第182話 小寺政職の謀反①

戦え!官兵衛くん 第182話
 鎌倉時代には、浄土宗、日蓮宗や禅宗といった、それまでの伝統的な仏教とは異なる、いわゆる新仏教が広まります。
 鎌倉時代の新しい仏教は、人は誰でも救済されると説き、仏の前での平等を謳っていました。
 この仏の前の平等という考えは、日本の社会に横の連帯という物をもたらします。

 当時の社会は領主-家臣-領民という縦の支配関係で成り立っています。そこへ領主も領民も仏の前では平等という発想が入ると、領主も領民も同じ仏教の信者であり、共に同じ道を歩む者ということになります。縦の支配に横の連帯が加わることにより、より強い連帯感が生まれることになります。

 その一例が、三好元長(⇒三好氏家系図、織田信長の重臣の三好康長の兄)の殺害とその報復です。
 阿波細川氏の重臣であった三好元長は、主君の細川晴元、赤松晴政、小寺則職・政職等と共に、晴元と対立する細川高国、播磨・備前・美作の支配者である浦上村宗(浦上政宗・宗景兄弟の父)を倒します(大物崩れ。詳しくは⇒外伝 宇喜多直家物語③外伝 宇喜多直家物語④)。
 しかし、大物崩れの後、主君の細川晴元は三好氏の勢力増大を怖れ、三好元長と対立します。
 細川晴元は本願寺と結び、享禄5年(1532年)6月、一向一揆を使って三好元長を殺害してしまいます。
 三好元長は熱心な日蓮宗の信者であり、現在でいうと信者の総代というべき立場の人物であったので、日蓮宗の信者の間に本願寺に対する反感が高まります。
 ついに日蓮宗の信者が一揆を起こし、本願寺の増長を恐れた細川晴元と結んで、天文元年(1532年)8月に本願寺の本拠地の山科を襲撃し、山科本願寺を焼討してしまいます(天文の錯乱★)。
 三好元長の領民でもない民衆が、三好元長の敵討ちを叫んで蜂起したというのは、一向一揆に対する恐怖というのも背景にあったでしょうが、在家信者のリーダーである三好元長との、単に領主-領民という縦の支配関係を越えた横の連帯が存在していたからに他なりません。

 小寺家は、政隆以来、一向宗を信仰してきましたので、御着周辺の領主としての顔とともに、一向宗の地域代表的な側面も持っていました。高僧の法要や宗教行事の場では、地侍や上級農民層とも席を同じくすると言ったことも、しばしばあったと思われます。また、小寺政職の側でも,横の連帯を利用して領地の支配を強化するという考えもあったでしょう。
 小寺が本願寺と敵対する織田信長と結んだことで,小寺政職の立場も微妙な物となったことを、小寺政職は実感する事になります。

 ここで、話を小寺政職の幼少の頃に変えます。

★ 山科本願寺が焼討されたことで、本願寺は本拠地を大阪の石山本願寺に移します。

第181話 荒木村重の謀反②

戦え!官兵衛くん 第181話
 本願寺は、荒木領内の門徒への不介入を餌に荒木村重を調略し、荒木村重の心は信長への謀反へと傾きます。
 天正6年(1578年)10月21日、織田信長の下へ荒木謀反の報が届きます。
 荒木村重の謀反を信じられなかった織田信長は、荒木村重に使者を送り、事情聴取を行います。
 使者の万見仙千代(演:田中幸太朗さん)、明智光秀等は、荒木村重に安土への出頭を求めます。
 荒木村重は部下の中川清秀(演:近江谷太朗さん)に相談をしますが、中川清秀は信長に謀反するよう荒木村重を促します。
 中川清秀は、生粋の武人で謀略とは全く無縁な人物ですが、他人を罠にハメるつもりはないのに結果的に罠にかけてしまう、戦国時代最強の天然謀略家です(⇒第61話第62話)。荒木、池田、伊丹、高山、和田といった摂津の大名の中で、明治維新まで大名として生き残ったのは、戦バカ生粋の武人中川清秀率いる中川家ですので、その天然パワーの凄さがお分かりいただけるかと思います。
 中川清秀は、黒田官兵衛を窮地に追い込むことに貢献した後(*´Д`)、本能寺の変後は羽柴秀吉の無二の親友として秀吉の天下取りに貢献&逆貢献していくことになります。

 中川清秀が「天王寺の件もあるやろ」と言っているのは、天王寺合戦(大河ドラマ「軍師官兵衛」では第10話の「毛利襲来」で、小寺VS毛利の英賀合戦と同時進行で織田信長が本願寺勢と戦っていた合戦です)の際に、荒木村重が織田信長の命令を拒否した件を指しています(⇒第142話)。
 後の荒木村重謀反につながる非常に重要な出来事とされていますが、何故か大河ドラマでは描かれていません(^^;)
 荒木村重は、部下・家臣・領民の強い意向もあり、織田信長への謀反を決意します。

 中川清秀は、「信長が疑いの目を向けたら、一生、逃れられへん」とか「わしは、あんたに一生ついていく」とか、格好いいことを言っていますが、はたして...

(ネタバレ)
 ノベライズ本によれば、中川清秀の家中に、ある大名の間者が潜り込んでいるという設定ですが、間者の頬には傷跡が...昔、播磨で野武士を扇動していた人でしょうか(笑)
 また、中川清秀の頬の傷は描かれないのでしょうか。

軍師官兵衛 第12話 「人質松寿丸」 あらすじ・感想

 いよいよ軍師官兵衛も秀吉の播磨入り、別所長治の造反、上月城落城、神吉・志方城落城、荒木村重・小寺政職の謀反、官兵衛の有岡城幽閉と、物語も佳境に入ってきます。
 それでは、あらすじ。
 秀吉の播磨入りは、松永弾正の謀反により延期となります。信長の指示により、播磨の諸将から人質を出すことになります。
 小寺政職は、一人息子の斎を人質に出すのを拒み、代わりに官兵衛の一人息子の松寿丸(後の黒田長政)が人質として、秀吉の長浜城へ向かうことになります。

 松寿丸を人質に出すというだけの話なのですが、松永弾正の人質処刑を絡ませていたり、かなり構成はGOOD!です。このクオリティで話を進めて行ってほしいですね。官兵衛の妻、光の対応とか、戦国時代の感覚とはかなり違うというか、ありえない対応だと思いますが、細かいことは言いません。

 まぁ、実際には、天正3年に小寺家が織田信長に臣従した時点で、小寺政職は人質を出しているので、今回の話は全部作り話なのですが(^^;)
 松寿丸は、小寺家ではなく官兵衛個人の人質として、織田から要求されたものと思われます。それだけ、官兵衛が重要人物と認識されていたということですね。
 
 なお、天正3年の時に、織田信長が集めた播磨の人質は、荒木村重の下に送られています(戦え!官兵衛くん。では、⇒第132話)。荒木村重の下にいた小寺政職の人質は、荒木村重(と小寺政職)の謀反の後も無事だったようです。官兵衛の身柄と引き換えに小寺の人質が無事だったのだとしたら、事実はドラマより数倍えげつないです...

(今週の突っ込み)
 栗山善助の妻が妊娠したと聞き、松寿丸は「家来にしてやる」と大喜び。才能はあるけど、器量の小さい黒田長政は、家臣との間にトラブルが頻発しますので、わかって脚本を書いていたらブラックですね...

天正6年(1578年)夏の勢力図

戦え!官兵衛くん 天正6年夏勢力関係図
 天正6年(1578年)夏の播磨周辺の勢力図です。尼子遺臣が守る上月城が落城するかしないかの時期で、大河ドラマ軍師官兵衛では、第17話の「見捨てられた城」の前後になります。
 新キャラ・小勢力が増えたので、かなり見にくい地図になっています(^^;)
 実際には、もっとモザイク状に勢力が分かれていますので、さらに分断化されています。丹波の赤鬼、赤井直正は3月に死去しています。

 羽柴秀吉は、織田信長によって但馬に一時左遷され、播磨攻略の織田信忠が陣頭指揮を執ることになります。
織田信忠は、三木城攻めのため、三木城周辺に陣地を建設すると共に、加古川周辺の制圧を図ります。毛利水軍に播磨灘の制海権を握られていますので、加古川沿いの別所勢力を攻略して、加古川の水運を奪い、毛利と三木城との連絡ルートを絶つためです。
 加古川周辺が織田軍に制圧された後は、毛利は魚住氏の魚住城から三木城へのルートで兵糧を搬入しようとします。

 一方、東に目をやると、伊勢で完成した鉄甲船が紀伊水道を北上して、大坂に向かっています。

 この後、神吉・志方城が平定され、一旦は織田方の勢力が拡大しますが、天正6年の秋には荒木村重・小寺政職が織田信長に謀反を起こし、勢力図が一変することになります。

第180話 荒木村重の謀反①

戦え!官兵衛くん 第180話
 応仁の乱の少し後の頃、先鋭化する加賀門徒(信者)に危機感を抱いた本願寺の蓮如は、摂津や播磨への布教を強化します(⇒第151話)。
 また、本願寺の拠点であった山科本願寺が天文元年(1532年)に細川晴元、法華一揆らに焼討された後は、本願寺は摂津東部の石山本願寺を拠点とします。
 このため、摂津や播磨では一向宗(ここでは本願寺派の浄土真宗の意味)の勢力が強くなります。

 織田信長は、長島の一向一揆を騙し討ちにしたり(⇒第111話第112話)、越前で大虐殺をやったり(⇒第130話)したため、摂津や播磨の門徒衆の間でも、織田信長に対する恐怖と反感が高まっていました。越前の一向一揆討伐には、荒木村重の軍勢も参加させられていましたので、本願寺の門徒の荒木の兵が、越前の門徒を殺害する場面もあったと思われます。
 
 荒木村重の家臣・領民にも多数の一向宗の信者がいたため、荒木村重は内部からの突き上げを受けることになります。
 また、織田信長の度重なる軍役の負担に対する反感も加わっていました。
 荒木村重の与力の中川清秀の家臣が、本願寺に兵糧を売ったという話も伝わっております。
 
 本願寺の荒木村重宛ての書面によれば、荒木領内で本願寺門徒の造反が強まっていたようで、荒木村重は領民・家臣の支持を失いかねない微妙な立場に追い込まれていました...  

軍師官兵衛 ノベライズ本 第2巻

 軍師官兵衛のノベライズ本の第2巻が出ました!
 ⇒amazonのNHK大河ドラマ 軍師官兵衛 第2巻のページ

 パラレルワールドを舞台にした小説だと割り切れば、結構面白いですよ。ただ、内容はスカスカなので、歴史好きにはある意味驚愕モノですが...

 ノベライズ本では、官兵衛は、尼子遺臣を救出すべく毛利軍に包囲された上月城に潜入したり(官兵衛が忍者みたいなことをやるはずない...)、三木城攻略戦の作戦立案をしたり(実際に三木城攻略の作戦を立てたのは織田信長)、三木城の南側を囲む土塁を建設したり(建設したのは前田利家、佐々成政等)と他人の手柄を横取り過ぎです(^^;)

 さらに、平井山の戦い、御着城の戦い、大村の戦い、英賀城の戦い、淡路遠征等々、一切無し( ゚Д゚)
 官兵衛が多大な功績を上げた鳥取城の戦ですら説明のみで終り。
 官兵衛の功績は、捏造部分を除けば、ほとんど無し(*´Д`)
 まぁ、いきなり織田に転向して、嫁を秀吉の側室にした後、あっけなく死んでしまう宇喜多直家さんに比べれば、官兵衛の活躍は描かれていると思いますが(「軍師官兵衛」の宇喜多直家は、上月家臣の毒殺とサボタージュ以外は、面会くらいしかやっていないので、陣内孝則さんをキャスティングする必要があったのかと...)...

 その分、荒木村重・だし・官兵衛の心理描写に重きを置かれていますので、歴史に全く詳しくない方が読めば(歴史好きな人でもパラレルワールドの物語と思えば)、面白いと思います!
 でも、3時間ドラマくらいの内容しか無いのですが...

(冤罪の犠牲者たち)
・織田信長  最初から上月城の尼子遺臣を見捨てた訳では無いのですが...
・櫛橋左京進 そもそも小寺政職の家臣では無いのに...
・中川清秀  荒木村重を悲劇の人にするため、悪人化されそうな悪寒...
・神吉藤太夫 荒木村重を騙して降伏したというのは捏造...
・小寺政職  単なるヘタレの臆病者に...

第179話 三木城包囲

戦え!官兵衛くん 第179話
 別所長治が反論の拠点とした三木城は、播磨最大の川である加古川の支流の美嚢川沿いに位置し、加古川の水運を利用することができました(★)。
 織田軍は、別所の反乱の鎮圧にあたって、まず加古川周辺の別所勢力を潰すことを第一目標とします。
 
 野口城、神吉城、志方城等の支城を落した後、天正6年(1578年)8月15日、織田軍は加古川で別所軍と交戦します。この戦いでは、妻のへそくりで金十両の名馬を購入した内助の功で有名な山内一豊が活躍し、出世の第一歩とします。
 別所討伐軍の現地指揮官であった織田信長の嫡男の織田信忠は、三木城周辺に付城の建設を指示した後、8月16日に帰国の途に付き,17日に京都に入ります。
 
 秀吉は、三木城の北東の平井山の本陣に入り、三木城の監視に当たります。
 余裕を見せつけるためか、10月15日に、平井山の本陣で秀吉は、堺の豪商の津田宗及を招いて茶会を開きます。この時、信長から拝領した乙御前の釜や足利義政ゆかりの四十石の壺を使っています。

 しかし、荒木村重・小寺政職に対する毛利・本願寺の調略が進められていました...
 荒木・小寺は謀反を起こし、官兵衛の運命は一転することになります...

 ★ 三木城を初め、播磨の内陸の城は、御着城(天川)、置塩城(夢前川)、龍野城(揖保川)、白旗城(千草川)等、水運が利用できる河川の近くに作られている城が多くあります。

第178話 高砂城攻防戦②

戦え!官兵衛くん 第178話
 織田軍を撃退した高砂城の梶原景秀(景行)は、一気に別所長治が籠る三木城まで進軍しようとします。
 しかし、応援の水軍衆は城から出ようとせず、梶原景秀は意気消沈してしまいます。
 
 そこへ黒田官兵衛が梶原景秀に調略をかけ、織田方へと寝返りさせることに成功します。
 毛利に制海権を奪われている織田方にとって、小規模とはいえ高砂水軍という貴重な水軍戦力を得たことは、非常に大きな意味がありました。

 ※姫路城史では、天正7年3月の毛利襲来の際には、梶原景秀は、まだ毛利方であり、相生の松を焼いたのは毛利の兵であったとしています。また,梶原景秀は三木城陥落の際に城を捨てて立ち退いたとされています。

第177話 高砂城攻防戦①

戦え!官兵衛くん 第177話
 今回の話は、地元の伝承をベースにしていますので、話半分で読んでください。
 高砂城の戦いは、時期も諸説あり、天正7年(1579年)春に発生したという説では、黒田官兵衛が有岡城に幽閉されていた時期の出来事になるため、官兵衛が関わっていることはありえないことになります。黒田官兵衛が関わったという説は、地元の案内看板がソース(爆)。

 織田軍は、別所方の高砂城を攻撃しますが、これに対抗して本願寺は高砂城支援を紀州の門徒に呼びかけます(これは史実)。
 織田軍は、高砂城攻撃の際に、謡曲で有名な高砂神社の相生の松を焼いてしまいます(毛利軍が焼いたという説もあり)。

 これに激怒した高砂城主梶原景秀(景行)と家臣・領民は、織田軍に反撃し、撃退してしまいます!

第176話 志方城落城

戦え!官兵衛くん 第176話
 織田信長は、毛利の大軍に包囲された上月城の支援を放棄し、神吉城と志方城の攻撃を優先させます(⇒第173話
 織田信長の嫡男、信忠率いる大軍に包囲された神吉城(加古川市)は、降伏を願い出ますが、織田信長は神吉城の降伏を許さず、皆殺しを命じます。
 織田軍は、神吉城の周囲に「やぐら」を組んで、大鉄砲(小型の大砲)を撃ち込む等、激しい攻撃を加え、天正6年(1578年)7月、ついに神吉城は落城してしまいます。城兵の大半は戦死しますが、神吉城主神吉頼定(★1)の一族の神吉藤大夫(藤太夫)は荒木村重、佐久間信盛の仲介で織田軍に降伏し、命を助けられます。
 神吉城落城の少し前位に、但馬に飛ばされていた羽柴秀吉が播磨の神吉城攻撃軍に合流しています。

 神吉藤大夫は、まだ抵抗を続ける志方城(官兵衛の妻の光姫の実家の城)に向かい、降伏を促します。
 播磨の現場では、織田信長の皆殺しの方針に疑問を感じていたのかもしれません。現場監督の織田信忠は、端城を殲滅させるより、三木城攻略を優先することを考え、志方城を降伏・開城させる方針を取ります。
 織田信忠を筆頭に荒木村重、佐久間信盛、明智光秀等、織田重臣達は、本来の自分の持ち場を外れて播磨に駆り出されていますので、播磨に関わっている暇はないというのが本音だったと思われます。

 なお、地元の伝承では、「神吉藤大夫が内通したため、神吉城が落城した」等と生き残った神吉藤大夫に責任が擦り付けられています。また、神吉藤大夫が織田に降伏するという話は虚言で、すぐに別所軍に合流して織田と戦ったため、荒木村重が織田信長の信任を失ったなどとも言われています。
 しかし、実際には神吉藤大夫は、すぐに志方城へ向かい、その後、志方城が開城しておりますので、志方城開城を条件に降伏したというのが正しいと思われます。

 織田信長もなし崩し的に志方城を降伏を認めたため、志方城は8月中旬に降伏します(★2)。城主の櫛橋氏(大河ドラマでは櫛橋左京進が城主とされ、金子ノブアキさんが演じます)は城兵と家族の命を助けるために切腹したとも、退去して浪人した後、黒田家に仕官したとも言われています(★3)。
 志方城開城は、第17話「見捨てられた城」の頃になるようですが、櫛橋左京進一世一代の見せ場なので、ドラマでも、きちんと描写してほしいです(*´Д`)
 
 また、志方開城により、黒田官兵衛は荒木村重に対する信頼を新たにするとともに、感謝の念を持ったと思われます。この2、3ヶ月ほど後に荒木村重によって幽閉されるのですが...

★1 神吉城主神吉頼定の妻は黒田官兵衛の娘とも言われていますが(真偽不明)、光姫との間に娘がいたという記録は全くありません。年齢的に考えても隠し子というのも考えにくいので、養女なのでしょうか。
★2 地元の伝承では、志方城内に疫病が蔓延したため、志方城主は、やむなく開城を決意したとされています。
 ただ、地元の伝承は、「やむを得ない理由があったので開城した」ということを強調する傾向にありますので(例えば神吉城落城の責任を神吉藤大夫になすりつけるとか),本当に疫病が流行っていたのかどうかは、疑問があります(^^;)
★3 志方落城後の小早川隆景の書状では、志方も毛利派だと書いてあります。小早川のブラフの可能性が高いように思いますが、落城後も志方城の残党が小寺等と組んで、反抗を続けていた可能性もあります。  

第175話 鉄甲船、発進!

戦え!官兵衛くん 第175話
 織田信長は、第一次木津川口の戦い(⇒第146話)での惨敗の後、毛利の焙烙玉(焼夷弾のような兵器)に対抗するため、志摩の九鬼水軍を率いる九鬼嘉隆に鉄張りの巨大な軍船の建造を命令します。

 なお、九鬼氏は江戸時代、内陸の三田に移封され、明治維新のドサクサで藩主が神戸一の大富豪になるなど、兵庫県と非常に縁の深い一族です。

 天正6年(1578年)6月26日、伊勢で完成した6隻の鉄甲船は紀伊水道を通って、大阪湾に入ります。途中、迎撃に現れた紀州の雑賀水軍と交戦し、撃退します。
 鉄甲船は、船体に炎上を防ぐための鉄板を張り、3門の大砲を搭載した巨大船であるため、迅速な行動はとれなかったようです。鉄甲船は機動力を犠牲にして防御力・攻撃力を重視した海上のガンダンクのような、移動砲台というべき兵器のようで、7月17日になって、ようやく堺に到着しています。

 鉄甲船は、石山の本願寺を封鎖すべく、大阪湾東部の河口付近に展開します。織田信長により、再び、石山本願寺との連絡が遮断されたため、石山本願寺を救援すべく、毛利水軍は織田水軍に対して攻勢をしかけることになります。

第174話 羽柴秀吉の夏休み

戦え!官兵衛くん 第174話
 播磨攻めに参加した織田信長の重臣達の間から、羽柴秀吉に対する不満が鬱積していたため、織田信長は羽柴秀吉の播磨担当を外し、但馬に派遣させます。
 秀吉の指揮権を一時的に剥奪したので、織田信長が、播磨攻略(荒木村重の謀反後は摂津攻略も追加になります)の総監督という立場になります。

 傷心の羽柴秀吉は、病身の参謀、竹中半兵衛を連れて但馬へと向かい、但馬の地固めを行います。この時、但馬守護の山名祐豊の子の山名氏政が、秀吉の元へご機嫌伺いに来ています。山名祐豊も病気療養中だったと思われます。
 
 播磨攻略総監督の織田信長は、織田軍オールスターを播磨戦線に投入。嫡男織田信忠、二男の織田信雄、三男織田信孝、甥の織田信澄といった織田一門から、重臣筆頭の佐久間信盛、丹波攻略中なのに派遣されてしまった明智光秀、丹羽長秀、細川藤孝(幽斎)、滝川一益、荒木村重、美濃三人衆の稲葉一鉄、安藤守就(竹中半兵衛の舅)、氏家直昌(氏家卜全の子)、そして長谷川秀一、万見仙千代といった側近まで、播磨戦線に参加することになります。

 志方城(★)攻略を担当している織田信雄と若狭衆が食べているのは、加古川名物の「かつめし」といって、ご飯の上にビーフカツを載せて、デミグラスソースをかけた加古川の名物料理です(*^-^*)
 
 但馬で充電した羽柴秀吉は7月下旬ころに、竹田城を羽柴秀長に任せて播磨に戻ります。羽柴秀長率いる但馬攻略部隊も少し後に三木城攻略に参加させられます。羽柴秀長と但馬攻略部隊は、但馬の反信長勢力と戦いながら、生野銀山の経営と守備を行い、播磨攻略にも参加しつつ、明智光秀の丹波攻略にも協力するという大変,忙しい状況になります。

 この間に、織田信長は新兵器の開発に成功!戦局は新たな局面に突入します。

 ★ 志方城(加古川市)は、黒田官兵衛の妻の光姫の実家の櫛橋氏の居城です。大河ドラマ「軍師官兵衛」では、官兵衛の義兄の櫛橋城主櫛橋左京進(演:金子ノブアキさん)は、官兵衛をイジメる小寺家臣という設定ですが、櫛橋氏は小寺の家臣ではなく、独立勢力ですので、事実とは違います。
 志方城は、小寺政職が11月頃に織田信長に謀反を起こす前に、別所氏と同調して謀反を起こした後、鎮圧されてしまっています。大河ドラマの設定では、櫛橋左京進は小寺政職の勢力から離脱して、別所の傘下に入り、小寺政職が謀反を起こす前に鎮圧されてしまうという妙な事になってしまいます...

大河ドラマ「軍師官兵衛」 第11話「命がけの宴」 あらすじ&感想

 第11話は天正4年7月の第一次木津川口の戦いから天正5年9月の羽柴秀吉の無断撤退までです。
 とくに可もなく不可もなく、淡々と話を進めるという感じで、まぁこんなものでしょう。
 官兵衛以外の播磨の勢力は、上月城がわずかに描かれる以外は、完全に空気と化しています。

 官兵衛は上月城で上月景貞と宇喜多直家、有岡城で荒木村重と高山右近と面会します。
 上月景貞が田舎の領主っぽく、宇喜多直家が悪人ぽく、高山右近がキリシタン大名ぽくっていい感じです。生田斗真さんが、ちょい悪風でグッドです。

 驚きなのは天正5年2月の雑賀征伐がまるまるカットされたことです。
 三木の別所長治は、紀州の反信長派の雑賀党を討伐するため出陣し、羽柴秀吉の旗下で戦います。この時、両人の間に何かあったとしても全くおかしくないのですが、一切、ドラマの中で触れられておりません。

 天正5年8月に信長は北陸に軍勢を派遣しますが、羽柴秀吉は指揮官の柴田勝家と大喧嘩し、無断撤退してしまいます。
 無断撤退により長浜城で待機中の秀吉さん。竹中半兵衛の献策で大宴会。そこへ何故か官兵衛が乱入。大声で怒鳴り散らします。
 羽柴秀吉は織田信長の判断により、お咎めなしとなり、官兵衛も大喜びです(って、宇喜多直家の調略がガンガン播磨に及んでいるのに、いつまで長浜におるんじゃ...)。

 残念なのは、宇喜多・毛利の調略が一切描かれていませんので、官兵衛が大声で騒ぐ以外、播磨にあまり緊張感は感じられません(英賀合戦が1年前倒しになっているので、間延びしていますし)。「軍師官兵衛」の脚本・演出は緊張感を醸し出すのが苦手のようなので、淡々とイベントをこなす回ですし、まぁ、こんなもんでしょう。


 実際には、この間に毛利・宇喜多による龍野赤松の調略が進んでおり、龍野赤松が織田方に謀反を起こすのですが、過程を描かない大河ドラマ「軍師官兵衛」では、龍野赤松の造反はスルーされると思われます。

(突っ込み)
 岡田官兵衛くん、あんまり大声で叫ばないでほしい。五月蠅いです(^^;)
 

第173話 第2次上月城の戦い③

戦え!官兵衛くん 第173話
 織田信長は、上月城救援を放棄するよう羽柴秀吉に厳命します。天正6年(1578年)6月24日、羽柴秀吉は上月城救援を諦め、書写山の本陣へ帰還します。
 さらに羽柴秀吉は、一時的に播磨攻略の担当を外され、但馬攻略へと回されます...おそらく、秀吉に対する信長重臣の反発が非常に強力であったためだと思われます...

 6月27日、打倒武田に執念を燃やす織田信忠(信長の長男)は加古川の神吉城を大軍で包囲します。神吉城の北の志方城(加古川市、官兵衛の妻の光姫の実家である櫛橋氏の城)は、信長の二男の織田信雄等の軍勢によって取り囲まれます。
 これを見た信長の三男の織田信孝は発奮し、神吉城攻めの最前線で奮闘します(★)。

 信長が三人の息子たちを競わせるように加古川周辺の諸城で戦わせている最中の7月1日、尼子遺臣の籠る上月城は落城してしまいます。尼子勝久は自害、山中鹿之介は毛利に下りますが、毛利の手により殺害されてしまいます。これにより、尼子再興運動は終焉を迎えることになります...

★ 信長の嫡男の織田信忠は、かなり優秀、二男の信雄は非常に残念、三男の信孝は戦国武将の平均点くらいという人物という感じです。信忠・信雄の母親は同じ(生駒氏)ですが、才能には天と地ほどの差がありました。
 また、信孝は実際には信雄より早く生まれたにも関わらず、母親の身分が低いため三男とされたとも言われています(真偽不明)。
 三男の信孝にしてみれば、優秀な嫡男信忠の下になるのは納得できるでしょうが、バカ殿の信雄の下に置かれるのが納得できたかどうか疑問であり、二男信雄と三男信孝とは、かなり微妙な関係にあったようです。

第172話 第2次上月城の戦い②

戦え!官兵衛くん 第172話
 毛利氏は宿敵尼子遺臣を討つべく、尼子勝久、山中鹿之介等、尼子遺臣が守る上月城に大軍を派遣し、備前の宇喜多直家の軍勢と共に包囲します。
 織田信長は羽柴秀吉、荒木村重等の軍勢を上月城救援に送りますが、毛利の大軍を前に手も足も出せない状況が続いておりました。
 ここに、織田信長は毛利との一大決戦を決意。自ら軍勢を率いて播磨に乗り込もうと準備を開始します!

 しかし、重臣一同は、張り切り過ぎの信長を諌め、天正6年(1578年)4月29日、滝川一益、明智光秀等がまず播磨に派遣されることになります。
 引き続いて、織田信長の嫡男、信忠等も播磨に派遣され、東播磨の戦線を受け持つことになります。
 ・・・もっとも、去年、羽柴秀吉と柴田勝家との間に、非常に大きなトラブルがあった(⇒第156話)ため、織田家中の中で羽柴秀吉に対する反感が高まっていた時期でした...

 ところが、毛利との対決を目の前に、一人テンション上げ上げ状態の信長に水を差すアクシデントが勃発!
 間の悪いことに畿内で大水害が発生し、交通網が寸断されてしまいます。災害復旧に対応する必要もあり、信長出陣の日も決められていたのですが、信長の出陣は延期となってしまいます...
 
 一方、播磨では、羽柴秀吉は滝川一益等とうまくいかず、派遣された織田重臣が秀吉に協力しないという事態に陥ってしまいます。このような中でも秀吉は調略を進め、竹中半兵衛が備前八幡山城の調略に成功します。
 5月24日に、戦況報告のため竹中半兵衛は安土城に行き、織田信長から秀吉に金100枚、竹中半兵衛に銀100枚の褒美が渡されます。
 竹中半兵衛の安土行は、死期が迫る半兵衛に花を持たせようとした秀吉の配慮か、播磨攻略に当たって織田信長の作戦立案に協力するためといったところだと思われます。
 なお、三木城攻めを含めた播磨攻略の作戦立案は、織田信長主導で行われていますので、黒田官兵衛が三木城の兵糧攻めを立案した等ということは、まずありえません
 また、竹中半兵衛は織田信長からも相当な信任を受けていましたので、竹中半兵衛が織田信長を嫌って羽柴秀吉の家臣になった等というのは全くのデマです(竹中半兵衛は信長の家臣で、秀吉とは上司と部下の関係です)。

 結局、織田信長の播磨入りは、水害の発生と家臣の反対により中止となります。家臣にしてみたら、やる気満々の織田信長が、天王寺合戦の際のように、また戦国無双をやって(⇒第143話)、戦死してしまうことになれば洒落にならない事態になるので、家臣一同、必死で信長を止めたものと思われます。
 この結果、織田信長の有力家臣の大半が播磨戦線に投入されることになります。

 滝川一益、明智光秀等、播磨に派遣された織田重臣達との関係がうまくいかないため、窮地に陥った羽柴秀吉は6月16日に安土へ行きます。
 重臣内部の人間関係悪化という織田家中の危機に織田信長は、アッと驚くべき対応を取ります。

第171話 第2次上月城の戦い①

戦え!官兵衛くん 第171話
 天正5年(1577年)11月の第1次上月城の戦い(⇒第161話)により、播磨と美作の国境の上月城は織田方の手に落ちます。大河ドラマ「軍師官兵衛」では、上月城主は上月景貞で、黒田官兵衛の義姉の力が上月景貞に嫁いでいるとされていますが、この時の戦いで力は夫が裏切った家臣に殺害されることになります。
 羽柴秀吉(★1)は、上月城の降伏を許さず、女子供を含めて皆殺しにした上、磔にします。
 上月城を手に入れた羽柴秀吉は、お家再興を目指す尼子勝久、山中鹿之介等尼子遺臣に上月城の守備を任せます(★2)。

 天正6年(1578年)4月、数万の毛利・宇喜多連合軍は、織田方に奪われた上月城を包囲します(第2次上月城の戦い)。
 羽柴秀吉率いる播磨侵攻軍は、摂津の荒木村重等と共に上月城に駆けつけますが、毛利軍は上月城の周りに陣地を築き、織田方の援軍からの反撃を防ぎます。
 毛利軍は大軍で上月城を包囲し、兵糧攻めにした上、大砲も持ち出して攻撃を加えます。
 羽柴秀吉は高倉山に陣を敷きますが、毛利の大軍と強固な陣地の前に、上月城を包囲する毛利軍を攻撃することができませんでした。

 毛利・織田の軍勢が上月城を挟んで対峙する中、毛利方の宇喜多直家と織田方の荒木村重は積極的な行動を見せなかったと伝えられています。
 宇喜多直家は病気を理由に参陣しなかったとされますが、天正10年に病死しますので、仮病か本当に病気だったのか、断定できません。
 荒木村重が積極的な行動に出なかったのは、単にやる気がでなかったのか、毛利等からの調略が及んでいたのか不明です...

 この事態に織田信長は毛利との対決を決意します。織田信長は自ら大軍を率いて、播磨に入り、毛利軍との直接対決に出ようとします!
 しかし、次回に予想外のアクシデントが発生...

 ★1 大河ドラマ「軍師官兵衛」では、織田信長が皆殺しを命令したという設定になるようですが、落城と殺害の日程を考えると、信長の命令ということは考えにくいと思われます。
 ★2 尼子遺臣に上月城を任せる際、羽柴秀吉は尼子遺臣の家族を人質に取っています。秀吉は人質を別所長治の三木城に入れますが、第2次上月城の戦いの直前に別所氏は謀反を起こします。人質がどうなったかについては、調べられていません...

第170話 野口城落城

戦え!官兵衛くん 第170話
 織田信長に反乱を起こした別所長治率いる別所派(反信長派)を鎮圧するため、播磨方面軍司令官の羽柴秀吉は、野口城(加古川市)を最初の討伐目標と定めます。織田派の加古川城と阿閉城の中間に反信長派の野口城があり、織田派の勢力が分断されているためです。

 織田軍は3000の兵で長井政重が守る野口城を攻撃します。この時、主家が謀反を起こしたため、微妙な立場に置かれることになった別所重棟は、最前線で奮闘しすぎて、敵の攻撃を受けて負傷してしまい、一時期、戦列を離れることになります。
 野口城は湿地帯にある防御の固い城でしたが、織田軍は数の力で、堀を埋め立ててしまい、天正6年(1578年)4月上旬には落城させてしまいます。野口城主長井政重は戦死したとも、秀吉の家臣になったとも言われており、動向はよくわかっていません。

 4月18日、三木城包囲に取り掛かろうとしていた秀吉に上月城包囲の一方が入ります。上月城は尼子勝久、山中鹿之介等、尼子遺臣が守っていましたが、毛利・宇喜多の大軍に包囲されてしまいました。
 秀吉は病床の竹中半兵衛と負傷療養中の別所重棟を三木城周辺に残して、急きょ国境の上月城に駆けつけます。

大河ドラマ「軍師官兵衛」 第11話「命がけの宴」 ネタバレ

 せっかく面白くなってきたのに、英賀合戦のしょぼさ・演出の拙さ(爺さんの擬兵を初めから種明かししてはだめでしょう(^^;))でガッカリの第10話でしたが、第11話こそ盛り返して欲しいですね。

 さて、第11話は天正4年7月の第一次木津川口の戦い(この漫画では⇒第146話)が終わった後から、天正5年8月に羽柴秀吉が北陸から無断撤退した時期(⇒第156話)に当たります。
 軍師官兵衛では、数年の出来事をまとめて放映する「流し回」というべき回と、1つのイベントをじっくり放映する回とありますが、次回は流し回の方になります。流し回は出来が悪いのが続いたのでちょっと不安です(*´Д`)

 大河ドラマ「軍師官兵衛」では、黒田官兵衛が播磨の諸将を取りまとめて織田につかせてしまった等と、官兵衛の功績を捏造してしまっています(いうまでもなく事実ではありません!)。この結果、播磨に毛利の圧力が及びながら、織田信長が播磨へと軍勢を派遣できないでいるため、「官兵衛,お前、フライングしすぎたんとちゃうか」という非難がでそうですが、100%冤罪です(そもそも官兵衛が播磨の諸将を取りまとめて織田につかせたという事実はありません)。

 また、毛利は海路を使って、本願寺に兵糧を運ぶことが可能になっていますので、「官兵衛の野郎、播磨を押さえたら本願寺を封鎖できるなんて、信長の前で、大嘘をつきやがって!」等と非難する向きもあるでしょうが、官兵衛がそんな話を信長にしたというのは創作ですので、こちらも冤罪です。

 英賀合戦を1年早めてしまったため、播磨の危機的状況が1年余計に続くという番組的には美味しい状況の中、官兵衛は秀吉に織田軍の派遣を要請しますが、竹中半兵衛から自分で何とかしろと言われてしまいます(能登の長連龍は自分で何とかしたけどな!)。

 半兵衛の進言(なぜ?)で、官兵衛は備前の宇喜多直家を調略することになります。
 官兵衛は義姉力の嫁ぎ先で宇喜多家臣の上月城主上月景貞と面会します(上月は反織田のままですので、第9話「官兵衛 試される」での『播磨一国を取りまとめた』という内容と矛盾していないのでしょうか)。
 上月景貞との面会の席に、突然、宇喜多直家が現れます。備前名物の毒酒がふるまわれ、なぜか、織田に内通していた上月家臣の内藤某が粛清されます。官兵衛はあまりの展開に茫然としますが、一人しか殺さないなんて、暗殺の天才、宇喜多直家さんにしては、ぬるい気がします。

 調略は失敗に終わりますが、官兵衛は「宇喜多直家が利にさとい男と知っただけでも収穫があった」等と負け惜しみを言います。実際には、織田に臣従する直前まで、小寺政職と宇喜多直家は浦上宗景打倒の密約を結び、官兵衛の甥の浦上久松丸を宇喜多直家の下に派遣していたんですけどね。軍師官兵衛ワールドでは浦上宗景はいなかったことになっているので、密約もなしです(^^;)

 別所長治が羽柴秀吉の指揮下で従軍した雑賀征伐とか、番組的に取り上げるべきと思われるような話はさらっと流しそうです(実際には英賀合戦は雑賀征伐と連動して発生しています)。

 播磨の事が気が気でない羽柴秀吉は、北陸方面軍司令官の柴田勝家と衝突、北陸から無断撤退し、長浜に引きこもってしまいます。羽柴秀吉の無断撤退後、能登の七尾城が落城したといった話は当然のことながら、スルーです。

 官兵衛が長浜城へ駆けつけてみると、秀吉は信長から謀反を疑われないようにするため、どんちゃん騒ぎの真っ最中でした。秀吉は、播磨進駐を約束しますが、実際の進駐はもう少し後になってしまいます。
 
 流し回ですので、ちょっと不安もありますが、うまくまとめて欲しいですね(*^-^*) 

第169話 別所の謀反

戦え!官兵衛くん 第169話
 織田信長との和睦交渉で時間を稼いだ別所長治は、三木城の防衛強化を完了させます。
 東播磨の多くの国人が別所氏に同調し、反織田陣営に組していましたが、明石の明石則実(黒田官兵衛孝高の従弟)のように、織田勢力も残っていました。
 天正6年(1578年)4月2日(4月1日の可能性あり)、別所氏は、織田信長に組する下冷泉家の冷泉為純と別所氏とは長年の宿敵の依藤氏を襲撃します。別所氏は近隣の織田勢力を討ち、織田勢力に圧力をかけ、気勢を上げます。

 下冷泉家は京都の戦果を逃れ、播磨の領地である三木城の近くの細川庄に疎開していましたが、別所氏の攻撃により藤原定家以来の文物も焼けてしまいます...下冷泉家出身の龍野の僧、宗舜(⇒第167話、後の藤原惺窩、ふじわらせいか)は実家が別所に滅ぼされ激怒、羽柴秀吉の陣中に乗り込み、別所討伐を直談判します。

 作者の感想ですが、謀反の手始めに疎開していた公家や弱小勢力になっていた依藤氏を討つというのは、作戦全体への影響が少ないのでいかがなものかと(*´Д`)

第168話 毛利の奇襲

戦え!官兵衛くん 第168話
 謀反の疑いをかけられた三木城の別所長治は、織田派の赤松本家の赤松則房、鳥居安芸守種職を通じて謝罪の意向を羽柴秀吉に伝えてきました。しかし、それは単なる時間稼ぎの手段に過ぎませんでした。羽柴秀吉から鳥居職種宛てに「三木城の降伏を認めないように織田信長が命令した」ことを伝える書面が残されています。
 その間に三木城は防備を強化し、家臣・領民のみならず近隣の武将も合わせて7500人もの人数が三木城に入ります。

 天正6年(1578年)4月1日、毛利水軍・雑賀衆等が別所長治の叔父の別所重棟が籠る阿閉城(加古川の別府か播磨町?)を攻撃します。黒田官兵衛が救援に駆けつけ、別所重棟は阿閉城防衛に成功します。ここに2年近くにも及ぶ三木合戦(三木城の戦い)の火蓋(★)が切られます!
 羽柴秀吉は、傘下の諸将に別所派の討伐を命令します!
 しかし、三木城内に別所の直臣・領民だけではなく、別所領以外の領民・地侍や同盟する諸将も三木城に入ったことからも分かるように、播磨での織田信長に対する反感は最高潮に達していました。
 播磨の織田勢力は秀吉直轄軍(秀吉軍の兵力は7500とされていますが、羽柴秀長等の但馬進駐軍も含まれた数だと思われますので、実数はもう少し少ないでしょう)の他に黒田、赤松等を合わせても1万内外程度と思われます。勢力は拮抗するか、反信長勢力の方が多いような様子でした。
 しかも、播磨の織田派は各地の反織田勢力に分断されるような形になっており、織田派はかなり不利な状況となっていました。

 主家が謀反を起こした別所重棟だけでなく黒田官兵衛も浮かない顔をしているのは、討伐の対象に妻の櫛橋光の実家である志方城(加古川市)の櫛橋氏も含まれていたからです...櫛橋氏も別所に同盟し反織田勢力として、織田派の官兵衛達と戦うことになります。

★ この少し前に三木城周辺で織田軍と別所軍の衝突があったともされています。

第167話 赤松広英の蟄居

戦え!官兵衛くん 第167話
 備前の天才謀略家宇喜多直家の調略により、龍野城は毛利方に寝返ってしまいます。龍野城は秀吉軍によって開城させられ、龍野城主は赤松広英から蜂須賀小六に変わります(⇒第163話)。

 前龍野城主の赤松広英(赤松政秀の遺児)は、領内の佐江村に蟄居します。そこへ赤松政秀の知り合いだという謎の僧、景雲寺の宗舜が現れ、赤松政秀に学問の指導を行います。

 漫画では、年齢に差があるように見えますが、実際には宗舜の方が1歳上なだけです。また、赤松広英は開城の際に龍野城から蟄居先に本を持ち出していますので、漫画で描いているより、もっと向学心があったと思います(*^-^*)

大河ドラマ「軍師官兵衛」 第10話 毛利襲来 あらすじ&感想とネタバレ

 今回は、いよいよ英賀合戦です。名将浦宗勝率いる毛利水軍と小寺政職率いる小寺軍が対決します!
 実際には天正5年に起こっていますが、ドラマ上では天正4年の設定ですので、織田信長サイドでは天王寺合戦と同時期になります。

 播磨では、毛利水軍が英賀に来襲します。姫路から英賀まではJRで一駅くらいの距離ですので、毛利水軍の大艦隊は姫路城からは丸見えとだと思われます。
 
 その頃、織田信長は、自ら軍勢を率い、天王寺砦救援のため、本願寺勢と対決します。雑賀衆の一斉射撃で織田信長は足を負傷しますが、羽柴秀吉が体を張って守ります...似たようなシーンが、「村上海賊の娘」にもあったような...もっとも、「村上海賊の娘」では、信長をかばったのは真鍋七五三兵衛ですが。
 青山の合戦と天王寺周辺の地形が似ているような気がしますが、単なる気のせいでしょうか...

 小寺家は毛利襲来の報を受け、別所長治等に援軍を頼みますが、断られます。別所長治は織田信長とともに天王寺で戦っているはずですが、なぜか播磨にいます。おそらく、三木城にいる別所長治は影武者だったのでしょう。

 黒田官兵衛はやむなく小寺勢のみで毛利と対決します。官兵衛の父職隆は「5000の兵を相手にしたことがない」と言いますが、軍師官兵衛ワールドでは、出雲の謀将、尼子経久、尼子晴久の播磨侵攻は無かったことになっているようです。
 なぜか、林や山の中にある毛利陣を官兵衛は奇襲し、老人に旗を持たせ擬兵を援軍に見せかけることで何とか毛利軍に勝利します。
 毛利軍5000とか言っていましたが、青山の合戦の方がエキストラの人数が多かったです(;_;)
 
 え,英賀合戦はもう終わり?相変わらず、播磨サイドでは鉄砲が出てこなかったような...

 英賀に行った侍女云々とか秀吉の浮気がどうたらとかは、非常にどうでもいい話なので飛ばします。というか、こんな話は全く要らないです。それ以前に、青山の合戦の際に英賀衆に官兵衛が助けられたとか、英賀に官兵衛の姉だか妹が嫁に行ったといったエピソードは、全く触れられていません。
 盟友荒木村重は官兵衛の活躍を喜びますが、荒木村重が信長の先陣命令を拒否したことはスルーなのでしょうか(^^;)
 その後、第一次木津川口の戦いが勃発、毛利水軍が織田水軍に完勝しますが...姫路城から播磨灘は丸見えなんだから、毛利水軍に気づいていない官兵衛は情報音痴としか言いようがありません...
 大河ドラマ「軍師官兵衛」ワールドでの黒田官兵衛は、相変わらず知力が低すぎます...
 また、第一次木津川口の戦いでは、毛利水軍は鉄砲を使っているのですが、播磨では南極条約か何かで銃火器の使用が禁止されているのでしょうか...

 はっきり言って、英賀合戦はしょぼすぎ、時間が短すぎです。陸戦隊5000なら、毛利水軍の軍船は総勢200隻くらいありますがな。どうせCGなんだから、船の数をもっと増やさないとつじつまが合いません。
 35分くらい英賀合戦をやって、その他の話は10分で切り上げるくらいでちょうどよかったと思います(^^;)

 ところで、別所長治が援軍を出さなかったというのは全くの冤罪です! 最近、軍師官兵衛は、ちょっと面白くなってきていたのですが、元の木阿弥です。もっと合戦シーンに予算をかけろ!と言いたいです。

第166話 加古川評定

戦え!官兵衛くん 第166話
 天正6年(1578年)2月、播磨入りした羽柴秀吉は、播磨の中心部にある加古川に播磨の諸将を集め、毛利攻略のための戦略会議を開きます。
 しかし、三木の別所氏の家老である別所賀相は、毛利方に播磨の諸将を転向させるための調略を行っていました。
 
 反織田の空気が広まる中、赤松本家の赤松則房、赤松本家の重臣の鳥居安芸守職種、別所氏の家老別所重棟、加古川の糟屋武則(小寺政職の甥、賤ヶ岳七本槍の一人)、福中城主の間島(間嶋)彦太郎氏勝、明石城主の明石則実(あかしのりざね、黒田官兵衛孝高の従弟)、そして黒田官兵衛達、播磨の織田方の武将は不安を感じていました(★)。

 いざ、会議が始まると別所長治は加古川城に現れず、長治の名代として別所賀相と別所重臣の三宅治忠がやってきます。会議の席で三宅は、長々と意味のない演説を始めたため、気分を害した羽柴秀吉が暴言を吐いたとされますが、これは別所賀相の策略でした...
 既に毛利方への寝返りを決めていた別所氏は、秀吉の暴言を利用し、播磨の諸将への調略を進めます。

【訃報】
 戦国最強の武将の一人、上杉謙信と兵庫県最強の戦国武将「丹波の赤鬼」赤井直正が、この頃相次いで死去します。
 二人の死去により、反織田陣営は大打撃を受けます。上杉家中では、上杉謙信の死により、謙信の養子の上杉景勝・景虎の間で、お家騒動による内戦(御館の乱)が勃発し、対織田信長どころではなくなります。丹波では赤井直正に歯が立たなかった明智光秀が丹波攻略の速度を上げることになります。
 別所賀相が扇動した造反劇は、序盤からケチをつけることになります...

★ 播磨の中で親織田派に残った諸将の顔ぶれを見ただけでも、官兵衛の活躍が大きかったことが伺えます。官兵衛は三木合戦勃発後も反織田派の諸将の調略に活躍しますが、そのあたりの活躍は黒田家の孤軍奮闘ぶりを強調するため、描かれない可能性が高そうです(明石則実等は別所方についたものの、官兵衛の説得で織田方に戻ったという説もあります)...
 新キャラとして登場した鳥居安芸守職種(3コマ目の右端の人物。通称鳥安、焼き鳥屋さんの屋号のような...)は赤松本家の奉行人で、三木合戦初期~中期に活躍します。寺社領の横領が大好きという播磨随一の嫌われキャラで、秀吉が西国有数の名刹の書写山に本陣を置いたのも、書写山に嫌われていた彼の進言が大きかったのかも(^^;)
プロフィール

kurokanproject

Author:kurokanproject
NHK大河ドラマ軍師官兵衛の主人公黒田官兵衛を紹介するマンガを描いています。
織田信長や羽柴秀吉といった歴史上の大人物、黒田官兵衛、小寺政職、赤松政秀、別所重宗といった播磨の武将達や、浦上宗景、宇喜多直家、荒木村重、松永弾正といった一癖も二癖もある連中が活躍します。

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