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第157話 松永弾正の謀反

戦え!官兵衛くん 第157話
 天正5年(1577年)8月、松永弾正は守備していた天王寺の砦を焼き、居城の信貴山城に籠ります。上杉謙信の織田攻撃と連動しての謀反でした(前回の謀反は⇒第71話)。
 謙信は9月23日、手取川の戦いで織田軍を撃破します(戦いの有無・規模に諸説あり)。

 織田信長は、織田信忠、羽柴秀吉等を松永弾正討伐に派遣します。秀吉は謹慎中でしたが、うやむやになってしまいます。
 信長は、弾正が所持していた平蜘蛛の茶釜等の茶器と引換えに赦免する旨を伝えますが、松永弾正は降伏を拒みます。
 10月10日、松永弾正は自爆により自決しますが、10月10日は、松永弾正が大仏殿を焼いた(冤罪説あり)日でした(⇒第15話)。
 この時、平蜘蛛の茶釜も粉々に砕け散ったとされますが、一部が回収されたという文献もあります(⇒参考文献)。

 何だかんだで、10月23日、ようやく羽柴秀吉は念願の播磨入りを果たすことが出来ました。
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第156話 秀吉の戦線離脱

戦え!官兵衛くん 第156話
 羽柴秀吉は、混乱する播磨をよそに、能登七尾城救援のため北陸へ派遣されることが決定してしまいます。
 北陸へ派遣される直前の天正5年(1577年)7月23日付の秀吉の書面が残されています。黒田官兵衛に宛てた「弟の小一郎同然に思っています。」という有名な書面は、播磨が毛利・宇喜多の圧迫にさらされながら、秀吉自身が対処することができないという、かなり切迫した状況で書かれたものです(★1)。

 天正5年(1577年)8月8日、織田信長は北陸に軍勢を派遣します(★2)。
 しかし、北陸へ派遣された羽柴秀吉は、柴田勝家と衝突し、無断で軍を引き上げてしまいます...
 結局、七尾城では、織田派の長続連(ちょうつぐつら)の一族は、恭順派(上杉派)によって、信長への使者の僧を残して皆殺しにされてしまい、織田軍の到着を待たずに、9月15日に上杉軍に降伏します...
 無断で戦場を離脱した羽柴秀吉に対する織田信長の怒りは相当なものでした...
 
 その後、長続連の子の僧は還俗し、長連龍(ちょうつらたつ)と名を改め、一族を皆殺しにした恭順派の一味に対する復讐に乗り出します。

★1 秀吉を嫌っているという人が誰を指しているかは不明です(別所長治?柴田勝家?)。
 また、この漫画は、天正5年時点では小寺政職が織田支援に積極的ではなかったという解釈で書いていますが、手紙の文面を素直に信じれば、小寺政職は、それなりに頑張っていたのかもしれません。

★2 北陸に軍勢を派遣した直後の8月13日に松永弾正久秀が、守備していた天王寺の砦を焼き払い、大和の信貴山城に籠城します。 
 また、9月6日付で、織田信長は官兵衛に秀吉の派遣を連絡しています。信長自身は、はやばやと秀吉を帰国させ、播磨へ派遣しようと考えていたのか、官兵衛からの派遣要請に対する単なるリップサービスだったのかは不明です。

第155話 謙信の能登侵攻

戦え!官兵衛くん 第155話
 天正5年(1577年)閏7月、戦国最強の武将、越後の上杉謙信は、能登(石川県北部)に侵攻します(第二次七尾城の戦い)。
 上杉軍に包囲された七尾城は、城主畠山氏の重臣の長続連(ちょうつぐつら)の子の僧を使者として、織田信長の下へ送ります。
 織田信長は、七尾城の救援要請を受け、柴田勝家率いる救援部隊を能登へと派遣させます。救援部隊には、播磨攻略の担当に内定していた羽柴秀吉も参加させられます。

 一方、播磨では毛利・宇喜多の圧力により、播磨の諸将への調略が進んでいました。最後のコマで、小寺政職、黒田官兵衛、赤松広英(龍野城主赤松政秀の遺児、信長の養女のさこの方の弟)が不安な顔をしていますが、播磨は諸将の動揺が広まり、危険な状況になっていました...
 播磨攻略担当であった羽柴秀吉は、播磨の事態を前に、北陸へ向かわなければならないことに焦っていました。
 
 次回、羽柴秀吉は思わず「やってしまいます」。
 羽柴秀吉の逆噴射により、元々、あまり仲の良くなかった柴田勝家との関係は決裂し、能登・播磨に悪影響をもたらします...

第154話 英賀合戦⑤

戦え!官兵衛くん 第154話
 いよいよ、英賀合戦編の最終回です。
 本願寺を指示する英賀衆は、小寺家が織田信長に臣従したため、友好関係にあった小寺家と手を切り、毛利と手を結びます。
 室津に上陸した毛利水軍と合流した英賀衆は、5000の兵(★)を集め、天正5年(1577年)5月14日、小寺家と対決します。毛利軍の別働隊により、織田方の龍野赤松家、置塩の赤松本家が攻撃を受けていましたので、小寺政職は孤立無援の戦いを強いられます。

 小寺政職自ら兵を率いて英賀へと進軍し、激しい戦闘となります。小寺(黒田)官兵衛の波状攻撃により、小寺軍は何とか毛利・英賀連合軍を打ち破ることに成功します。
 この時、官兵衛は老人を集め、旗を振らせて擬兵にしたと伝えられています。が、戦闘経過はイマイチ信用できないようなのが多いので、話半分で聞いてあげて下さい(^^;)
 ひどいのになると、毛利水軍が油断して、浜辺で酒盛りをしていたとか何とかといった話もありますが、作り話でしょう。
 英賀合戦(英賀の戦い)は、戦術的には小寺方の勝利で終わりましたが、戦略的にみると織田方の敗北と言える結果となりました。
 毛利軍は、播磨灘・大阪湾に至るまでの制海権を握っていましたので(⇒第146話)、播磨各地を自由に攻撃することが可能でした。毛利水軍は、播磨の諸将に水軍の機動力を見せつけ、恐怖感を与えることに成功します。
 毛利水軍ショックというべき事態に、播磨は危機的状況に陥ります!

 次回からは北陸編。戦国最強の武将、上杉謙信が織田と対決!
 播磨の危機的状況にあせった羽柴秀吉が、大失態をやってしまいます...

★毛利軍は、宇喜多直家と連合して、龍野赤松の赤松広英、赤松本家の置塩城を攻撃しています。小寺攻略軍とは別働隊を派遣していますので、小寺攻略にあたった部隊は5000より少ないと思われます。

試験に出る官兵衛くん。 その3 ~櫛橋・梶原・糟屋氏の進出~

 後鳥羽上皇が西国の武士を集めて、鎌倉幕府に対抗した承久の変は、後鳥羽上皇方の敗北で終わります。
 上皇方の武士を一掃した幕府は、上皇方の公家や武士の領地を没収し、親幕府派の武士を新たに赴任させます(新補地頭(しんぽじとう)といいます。承久の変の前からの地頭を本補地頭(ほんぽじとう)といいます)。
 鎌倉幕府は、関東の御家人を播磨に派遣し、東播磨の加古川周辺に領地を与えます。「戦え!官兵衛くん」に登場する高砂の梶原氏、加古川の糟屋氏、志方の櫛橋氏等は、関東の御家人の流れを組む一族です。
 要するに、敗戦国の播磨に戦勝国から進駐軍が来たという訳ですね。ちなみに安芸の毛利氏、吉川氏等も、関東の御家人出身です。

 大河ドラマ「軍師官兵衛」では、官兵衛の義兄(妻光の兄)で同じ小寺政職家臣の櫛橋左京進(演:金子ノブアキさん)が、しょうもない官兵衛イジメと逆天才ぶりを披露していますが、櫛橋家は鎌倉以来の名門で、世が世なら、出自が怪しい赤松本家とか、龍野赤松家とか、小寺家とか黒田家よりもずっと格上だったのです。
 そもそも櫛橋は小寺の家臣じゃないので、ドラマの官兵衛イジメと逆天才は全くの冤罪です(^^;)

 さらに、幕府は京都に六波羅探題を置き、朝廷・西国の監視を強めます。
 ここで、ようやく幕府は西国にも実力を及ぼす事ができるようになりました。

 承久の変後、西国の様子は一変してしまった訳ですが、幕府内でも北条氏への権力集中が加速することになります。
 1224年、北条義時の死去により北条泰時が幕府の執権となります。
 第3代将軍源実朝の死後、将軍位は空位であったため、北条氏は、京都から源頼朝と少しだけ血縁関係のある公家の少年(藤原頼経)を呼び寄せ、第4代の将軍とします。言うまでもなく、将軍はお飾りで、幕府の実権は北条氏が握ることになります。  

大河ドラマ「軍師官兵衛」 第8話 「秀吉という男」 感想

 第8話は岐阜城での織田信長と官兵衛の面会がテーマです。結構,面白くなっています!視聴率も上がってほしいですね!
 今回は、一話に大量の出来事を詰め込まずに、黒田官兵衛、織田信長、羽柴秀吉の出会いを中心にじっくり描いたことが良かったようです。

 ただ、相変わらず官兵衛が賢いように見えないので、その辺りのストーリー、描写は要改善。官兵衛が説得する場面で、岡田准一さんが大声で叫ぶのは×でしょう。
 今回、官兵衛が信長や織田重臣の前で語った内容は、じっくり分析すると、何の役にも立たないような話ですので、雰囲気だけでも知的なイメージでお願いします。
 というより、実際には織田信長は、中国攻略に際して、官兵衛の考えた戦略とは全く違う戦略をとっていますし、官兵衛はドラマのような話をしていないのは、ほぼ間違いないでしょう。「(天正3年時点では謙信は一向一揆と泥沼の抗争をしているため、織田と同盟しているのに)上杉謙信への備えも必要がある」とか「(丹波攻めの担当に内定している)明智光秀が播磨攻めの担当になりたかった」とか織田家中の話も全くいい加減で、突っ込みどころ満載です。
  
 そもそも、織田信長が羽柴秀吉を播磨に派遣して、播磨攻略に乗り出したのは天正5年10月下旬のことで、岐阜での会見から2年以上も先の話ですがな。

 次回、第9話「官兵衛 試される」では、官兵衛は三木の別所長治、龍野の赤松広英(赤松政秀の遺児)と御着の小寺政職を一緒に上洛させ、織田信長に面会させるという試練に直面します。
 別所長治は、7月に京都で信長と面会しているし、赤松広英は3月に姉のさこの方が織田信長の養女になったばかりですので、誰がやっても簡単にできそうにも思えますが、織田信長に面会させるのは非常に難しいらしいです(^^;)

 史実では、ドラマのように簡単に織田VS毛利の構図になったのではなく、双方が積極的に対決を望まず、表面上は友好ムードの中で、裏では自分の勢力が優勢になるように互いの反対勢力を援助していたという複雑な経緯を経て、織田と毛利の対決に至ります。
 織田と毛利に宇喜多が絡んだ三つ巴の謀略戦が展開されるのですが、軍師官兵衛では構図を非常に単純化してしまったので、手に汗握る知略の戦いは期待できないかも(^^;)

(突っ込み)
 後藤又兵衛と石田三成は同い年のはずですが、役者さんを見る限り、そう見えません(^^;)
 万見仙千代(演:田中幸太朗さん-実年齢は31歳!)も後藤又兵衛達と年齢が近いと思われますが...
 岐阜城で官兵衛を出迎えた万見仙千代は、織田信長の寵臣兼愛人で、荒木村重の謀反の際に、村重への詰問の使者となります。今後、ちょっと重要な役回りになると思われますが、設定上の年齢に違和感あり。

第153話 英賀合戦④

戦え!官兵衛くん 第153話
 天正5年(1577年)4月23日、名将浦(乃美)宗勝率いる毛利軍が室津に上陸します。
 備前の謀将宇喜多直家は、別所長治等が雑賀征伐に出陣した隙を狙い、3月から龍野赤松を攻めていましたので、毛利軍は龍野赤松攻めに合流したものと思われます。
 毛利軍は、龍野赤松や置塩の赤松本家を攻めて無力化させた後、西へ向かい、英賀衆と合流し、小寺政職攻略に出撃します。
 凡将小寺政職は、領内から2000の兵をかき集め、毛利軍5000(★)と対決します!
 次回、黒田官兵衛が大活躍します。

 ★龍野赤松や赤松本家の抑えに残した兵力を考えると、小寺攻略に向かった軍勢は5000を下回っていると思われます。
 

第152話 英賀合戦③

戦え!官兵衛くん 第152話
 本願寺門徒である英賀衆にとって、同じ門徒でありながら本願寺と敵対する織田信長の傘下に入った小寺政職は裏切り者と映りました。また、英賀の縁者でありながら、織田信長支持を主張する黒田官兵衛も敵とされました。
 このため、官兵衛は命の恩人である英賀衆との対決を強いられることになります(⇒第25話 青山の戦い①)。

 また、若干16歳の赤松広英(広秀)が、父赤松政秀死後に衰退していく龍野赤松家を支えられるはずもありませんでした。宇喜多直家の調略と軍事的な圧力により、龍野赤松家は混乱を深めていくことになります...

 天正5年(1577年)4月、毛利水軍の大艦隊が、室津に上陸します(★)。室津は、13年前に官兵衛の妹志織(大河ドラマ軍師官兵衛では、初恋の人「おたつ」)が殺害された因縁の地です(⇒第3話 室津城襲撃)。
 毛利水軍と小寺軍の対決の時が迫ります。

 ★上陸地は室津町史による。毛利水軍が英賀に上陸したとする小説等が多いですが、播磨に上陸した艦隊は200隻くらいにはなりますので、夢前川河口の英賀に艦隊を寄港させるのは規模的に難しいと思われます。

天正5年(1577年)春の勢力関係図

戦え!官兵衛くん 人物関係図(英賀合戦直前編)
 いよいよ、天正5年春には毛利と織田軍の直接対決が始まります。今回の地図は旧国境をオレンジの線で示しています。毛利勢は桃色(旗は紫色)、織田勢は薄緑色(旗は黄色)です。
 明智光秀は丹波攻略を担当していましたが、雑賀征伐のため、紀州へ入ります。摂津の荒木村重、三木の別所長治等も雑賀征伐に参加しています(⇒ 第148話)。
 天正4年1月に丹波の波多野秀治が織田信長に謀反を起こしましたが(第137話)、別所長治の妻は波多野秀治の娘であり、別所長治は愛する妻との関係に悩むことになります。

 淡路の岩屋城が菅達長の手に落ちたことから、淡路周辺~播磨灘に毛利水軍が常駐するようになります。
 播磨の諸将・領民は、常に毛利水軍の姿を見ながら生活することになるため、心理的な圧迫は相当なものだったと思われます。

 毛利の小早川隆景は、本願寺方の雑賀衆を後方から支援するため、播磨へ水軍を派遣し、圧力をかけます。
 小早川隆景は、攻略目標を龍野赤松の赤松広英(赤松政秀の遺児)と御着の小寺政職に定めます。
 名将浦(乃美)宗勝率いる5000の兵が、官兵衛の妹(大河ドラマでは「おたつ」)が殺害された因縁の地、室津に上陸し(★)、本願寺門徒の英賀衆と共に小寺政職、黒田官兵衛と対決します。

★毛利水軍の艦隊が上陸したのは、実際には英賀ではなく室津です。

第151話 英賀合戦②

戦え!官兵衛くん 第151話
 今回は、英賀合戦(英賀の戦い)や小寺政職、荒木村重の謀反の背景の説明です。
 この当時、播磨や摂津は本願寺門徒(信者)が非常に多い地域でした。
 どのような経緯で本願寺の信仰が広まったのかというと、話は官兵衛の時代から100年ほど前にさかのぼります。

 応仁の乱が東軍の(一応の)勝利で終わった後も、東軍がなんとなく勝っただけで西軍を屈服させた訳ではないので、火種がくすぶったままになっていました(このあたり、試験にでますw)。
 西軍についていた近江の六角高頼は、応仁の乱後も東軍方の領地を返さなかったため、幕府とトラブルになっていました。9代将軍将軍足利義尚は、長享元年(1487年)加賀守護の富樫政親等を率いて、近江の六角氏討伐に乗り出します(第一次六角攻め、長享の乱)。
 しかし、富樫政親の領国の加賀で、戦費調達の増税や軍役に反対して一向一揆が勃発します。富樫政親は急きょ、帰国して対応にあたりますが、長享2年(1488年)に敗れて戦死してしまいます。
 本願寺と足利将軍家は、本願寺8世の蓮如の息子が足利義尚の母、日野富子の兄の養子になっていたことから(親鸞が日野家の出身のため)、非常に近い関係にありました。
 自分の準身内の信者に将軍の忠臣を殺害されたことから、足利義尚は激怒します。
 足利義尚は、本願寺に加賀の信者の破門を要求しますが、蓮如はひたすら謝罪し、宥恕を乞います。細川政元が間に入り、蓮如が一揆の関係者を処分し、信者に「お叱りの御文」を出すという形で決着します。

 急進化する加賀の信者の動向に危機感を覚えた蓮如は、加賀以外の地域での布教を強化します。播磨・摂津での布教を強化したため、播磨・摂津で信者が増えていきますが、播磨では守護の赤松義村(赤松晴政の父)により、本願寺派の浄土真宗(一向宗)が禁教とされていました。
 しかし、1513年に播磨で本願寺派の浄土真宗の信仰が認められ、姫路の南西の英賀に本徳寺が建設されます(★)。本願寺は英賀を中心に西国への布教を行うようになります(⇒番外編01)。
 また、小寺政職の祖父の小寺政隆(村職)が本願寺派の浄土真宗を信仰するようになったことから(⇒第83話)、御着の小寺氏は英賀との関係を深めていきます。

 ★英賀滅亡後、本徳寺は、羽柴秀吉によって姫路の南の亀山に再建されました。現在の本徳寺の本堂は、幕末に新撰組の屯所として使われていた建物を移築したもので、隊士が切りつけた刀傷等も残っており、新撰組ファンは必見です。

第150話 英賀合戦①

戦え!官兵衛くん 第150話
 菅達長が明石海峡を望む淡路島北端の岩屋城を奪取したことにより、毛利水軍が播磨灘・大阪湾の制海権を得ます(⇒第145話)。
 淡路島の北端に毛利軍の守備隊が常駐し、毛利水軍の軍船が播磨灘や明石海峡を我が物顔で航行するような状況となってしまいました。
 目の前の海で毛利水軍の軍船がうようよしている光景を見せつけられ、播磨の諸将は大変な緊張を強いられていたと思われます。
 織田から毛利に寝返る諸将が続出したのは、織田が目の前の海の制海権を握っていなかったことも理由にあります。いつ、海からの奇襲を受けてもおかしくないからです。

 播磨の諸将の動揺を見てとった智将小早川隆景は、織田方の御着の小寺政職と龍野城主で赤松政秀の遺児の赤松広英(広秀)を攻撃目標に定めます。
 本願寺門徒である小寺政職が播磨の中で微妙な立場に置かれていたこと(⇒第83話、⇒第84話)、赤松広英が若くして家督を継いだため龍野赤松家中が動揺していたことから、織田方から離反させやすいと判断したためです。

 戦国最強の謀略家、備前の宇喜多直家(今のところ毛利と同盟中)は、龍野赤松家中に調略をかけるとともに、播磨西部で軍事活動を行い、龍野赤松家に圧力をかけます。
 赤松広英は、織田信長の養女さこの方の弟であり、信長の準身内的な存在です。普通であれば、調略は難しいと考えるところですが、謀略の天才、宇喜多直家は不可能を可能にしてしまいます!

【解説】
 4コマ目の人物の間島(間嶋)彦太郎は、福中城(神戸市西区)の城主で、織田派の国人です。漫画「センゴク」シリーズでは、しょーもないギャグをいう気弱なおっちゃん武将として登場します。
 間島彦太郎は別所との三木合戦(三木城の戦い)でも織田信長方として戦います。赤松本家を筆頭にかなりの播磨の武将が別所方に組せず、織田方に残って戦ったのですが、多くの小説等では播磨の織田方勢力は、黒田家を除いて、なぜか無視されてしまっています。羽柴秀吉や黒田官兵衛等、織田方の孤立無援ぶりを強調するためだと思われます...
 このため、黒田官兵衛も、多くの諸将を織田方にとどまらせたり、別所方から織田方に寝返りさせるといった成果を上げていますが、官兵衛を主人公にした小説ですら、官兵衛の功績が取り上げられていないのが多いです(^^;) 

軍師官兵衛 第8話「秀吉という男」ネタバレ

 視聴率と戦う大河ドラマ「軍師官兵衛」も第8話に突入です。
 官兵衛は、天正3年7月下旬ころに岐阜城で織田信長と面会しますが、ノベライズ本を見る限り、非常に危険なかほりが...
 居並ぶ織田重臣の前で官兵衛の説く戦略がいい加減...

 官兵衛は、北国優先路線を説く柴田勝家に「本願寺は毛利とつながっている。播磨は中国から石山本願寺への道筋。播磨を制すれば両者のつながりを絶つことができる」なんて演説しちゃいますが...
 本願寺と毛利の連絡は海路で行っていますので、播磨を抑えても、本願寺と毛利の連絡は絶てません(^^;)
 逆に淀川河口付近の海域を封鎖してしまえば、本願寺と毛利との連絡を絶てます。

 さらに驚愕なのが、丹羽長秀に「戦の勝敗は兵の多寡にあらず。」と兵力重視思想の孫子と真逆の兵法を説く官兵衛。とどめに「兵は詭道なり」なんて孫子を引用します(汗)

 おまけに明智光秀が「今すぐ中国攻めにかかるべき。」なんて提言しちゃいます。越前攻め、丹波攻めを控えているのに、「今すぐ」毛利も敵に回して大丈夫?

 現実の織田・毛利の戦略とは全く異なる戦略を熱く語る官兵衛!信長の喜びようが社交辞令だとは気付いていなかったようです(^^;)
 大河ドラマの官兵衛と織田重臣達は、ちょっと知略が低すぎます... 

第149話 雑賀征伐②

戦え!官兵衛くん 第149話
 天正5年(1577年)2月、雑賀衆の一部が織田信長に内通してきたことから、6万の織田軍が紀伊(和歌山県)北西部の雑賀に侵攻します。

 第1コマ目に浜手軍の別所長治と堀秀政が登場しています。
 東播磨の別所氏は、本願寺攻め、天王寺合戦等、再三にわたって織田信長の命令で出兵させられていますが、いずれの戦いも得る物が少ないので、家臣・領民の不満は相当なものがあったと思われます。また、播磨では本願寺門徒が非常に多くいるため、本願寺や親本願寺勢力の雑賀衆と戦うことは、本願寺門徒の家臣・領民にとって許せないものであったのかもしれません。
 雑賀征伐の1年後、別所長治の叔父の別所賀相は、家臣・領民の不満をくみ上げ、別所氏を反信長勢力に転向させることに成功します。

 堀秀政は、織田信長の側近兼元愛人で、何をやらせてもそつなくできることから、何でもできる「名人久太郎」と呼ばれた人物です。後に本能寺の変の際に羽柴秀吉の中国遠征にたまたま同行していたという偶然から、羽柴秀吉の天下取りに絶大な貢献をすることになります。
 このため、堀秀政は、中国大返し以降に羽柴秀吉の傘下に入ったにもかかわらず、黒田官兵衛や蜂須賀小六達よりもずっと多い領地をゲットするという幸運に恵まれます。
 黒田官兵衛は、秀吉ににらまれていたから、働きの割に領地が少なかった等と言われていますが、実態はかなり違うものと思われます。
 羽柴秀吉は、堀秀政、池田恒興のような織田家中の有力人物を取り込むべく、優先して領地を与える必要があったため、古参の部下・家臣であった黒田官兵衛達が割を食ったというのが実情に近いでしょう。 

 ゲリラ戦術で対抗する雑賀衆の反攻により、織田軍は苦戦します。
 多数の死傷者を出した織田軍は、西方で毛利水軍が活発化してきたことから雑賀衆と和睦します。
 実質的には織田軍の敗北と言って良い結果でした...
 織田信長は、本隊の撤退後、紀伊北部・和泉に兵を置き,雑賀の監視をさせます。
 雑賀孫一は、数か月は静かにしていると言っていますが、この少し後、雑賀衆内部で反信長派による信長派への攻撃が始まります(第一次太田城の戦い)。

 次回より、英賀合戦編が始まります。播磨へと侵攻してきた名将浦(乃美)宗勝率いる毛利水軍と小寺政職・黒田官兵衛主従が対決します! 

試験に出る官兵衛くん。 その2 ~播州後藤氏の挫折~

 さて、源頼朝の直臣として繁栄を迎えていた播磨後藤氏ですが、試練の時を迎えることになります。
 後藤基清は、源頼朝の急逝により世情が混乱する中、朝廷で権勢をふるっていた土御門通親の殺害を企てたとして処罰されます(三左衛門事件)。ここは、細かい話なので試験対策としてはスルーして下さい。

 後鳥羽上皇の意向で、穏便な処分で済まされた後、後藤基清は復権を許されます。後藤基清は、西面の武士に取り立てられたり、朝廷の官職を与えられる等、後鳥羽上皇に重用されるようになります。
 なんか、三左衛門事件には裏がありそうですが、証拠が無いのでスルーして下さい。

 勢力を伸ばす幕府に危機感を覚えた後鳥羽上皇は、承久3年(1221年)6月、親上皇方の武士を集め、幕府に対決します(承久の変)。
 
 ここからが試験対策で重要です。
 承久の変まで、鎌倉幕府は朝廷の力が強い西国では、あまり勢力がありませんでした。
 西国の武士は、幕府設立前は、当然のことながら朝廷・公家と関係を結んでいましたが(★)、幕府設立後も朝廷との関係が切れない人が大勢いました。このため、多くの西国の武士が上皇方として幕府と敵対することになりました。
 
 上皇方を打ち破った幕府軍は、後鳥羽上皇を隠岐へ流罪にした上、関係者を重く処罰します。上皇方の武士を一掃した幕府は、上皇方の武士の領地を没収し、親幕府派の武士を新たに赴任させます。
 承久の変の勝利より、鎌倉幕府は、西国での影響力を増大させることができました。

 大恩ある後鳥羽上皇に味方した後藤基清は、幕府方に付いた子の後藤基綱によって処刑されますが、後藤家は基綱により命脈を保つことになります。
 播磨の国も承久の変によって、様相が一変することになります。

 ★朝廷の家臣を兼務していたり、公家が本家だったり、荘園の代官をやっていたりしていたので。

第148話 雑賀征伐①

戦え!官兵衛くん 第148話
 雑賀衆は、紀州北西部(和歌山市周辺)で中世さながらの自治を保っていた集団です。雑賀衆は5つの地域が集まって、集団を作っていました。
 本願寺との戦い(石山合戦)では、雑賀孫一を中心として織田信長と戦っていましたが、雑賀衆の内部の対立から、雑賀衆の一部が信長に内通してきました。
 これを好機として、天正5年(1577年)2月、信長は信長派雑賀衆とともに、6万の大軍で反信長派の雑賀衆を攻撃します。

 和泉南部を制圧した織田軍は、軍勢を浜手軍、山手軍の二手に分け、紀州に侵攻します。
 西の海沿いを進む浜手軍は、織田信忠、明智光秀、細川藤孝(幽斎)、滝川一益等が加わっていました。
 東の内陸部を進む山手軍は、反信長派雑賀衆を先頭に羽柴秀吉、織田家重臣筆頭の佐久間信盛、織田信長の信任の厚い堀久太郎秀政、荒木村重、東播磨の別所長治、根来衆(根来寺を中心とした怪獣を使って戦う忍者集団)等で構成されていました。

 浜手軍は紀州北部の各城を落します。山手軍は信長派雑賀衆の拠点の太田城から、反信長派雑賀衆の拠点に攻め入ります。

 次回、織田軍は大苦戦。雑賀衆を支援する毛利の圧力により、小寺政職、黒田官兵衛に危機が迫ります。

第147話 越賀一和&内大臣就任

戦え!官兵衛くん 第147話
 戦国時代最強の武将、上杉謙信は、天正4年(1576年)5月頃、対立していた加賀の一向一揆と電撃的に和解します(越賀一和)。以後、上杉謙信は矛先を一向一揆から織田に向け、織田信長と対決することになります。

 この漫画では、上杉謙信と島津義弘が最強(戦闘力AAA)という設定になっています。上杉謙信は、「小田原城の目の前で北条軍から鉄砲を撃ち込まれながらも、悠然と茶を飲んだ」とか、さまざまな逸話に彩られていますが(★1)、どこからどこまでが本当かわからないので、詳しい紹介は差し控えます。もっとも、かなり逝っちゃっている方だったというのは間違いがないようです(^^;)

 信長は11月に内大臣に就任します。山岡兄弟の山岡景隆が忍者装束で登場していますが、この漫画では、甲賀・伊賀出身者(南蛮キャラの和田惟政を除く)は、わかりやすいように忍者キャラにしているだけですので、実際に忍者装束で宮中に参内した訳ではありません(^^;)
 11月の上洛の際には、播磨からも別所長治、別所重棟、浦上宗景、赤松広英等が上洛して、織田信長に面会します。
 翌天正5年(1577年)1月、信長は再び上洛し、播磨の大名も信長に面会します。
 しかし、今回も上洛した大名の中に、小寺政職の姿はありませんでした。黒田官兵衛が説得しても、本願寺門徒で信長を嫌う小寺政職は上洛せず、黒田官兵衛が名代として上洛したとされます(★2)。
 
 ★1 軍師官兵衛第1話の冒頭の小田原城のシーンは、上杉謙信の逸話からの引用、少年官兵衛がおしっこを漏らすシーンは竹中半兵衛の逸話からの引用だと思われますが、他人の逸話を引用するのは視聴者を混乱させるので控えた方がいいと思います(そもそも、外しているし)。
 ★2 小寺政職が上洛したという説もあります。

第146話 第一次木津川口の戦い

戦え!官兵衛くん 第146話
 天正4年(1576年)7月、村上武吉の息子の村上元吉率いる毛利連合水軍は、織田軍に包囲された本願寺を休戦すべく、10万石の兵糧を積んで、明石海峡を通過し、大阪湾に侵入します。
 ※漫画では7月15日になっていますが、13日の誤りです(-_-;)
 大阪湾東岸を警備していた九鬼義隆、真鍋七五三兵衛(まなべしめべえ)等、織田水軍は毛利連合水軍を木津川河口で毛利連合水軍を迎え撃ちますが、数で勝る毛利連合水軍に圧倒され、大敗を喫してしまいます。
 毛利連合水軍は、本願寺に兵糧を運び入れることに成功します。
 以後、織田と毛利の全面対決となりますが、織田軍は瀬戸内海(播磨灘を含む)・大阪湾の制海権を毛利水軍に奪われてしまうという、非常に不利な状況で毛利と戦うことになります。

天正4年春の勢力関係図

戦え!官兵衛くん 人物関係図(対決直前編)
 いよいよ、織田と毛利の直接対決が始まります。対決直前の天正4年(1576年)春の時点の織田と毛利の勢力関係図(播磨周辺の勢力図)を作ってみました。大河ドラマ「軍師官兵衛」では、第9話の「官兵衛 試される」と第10話の「毛利襲来」の頃になります。
 桃色が毛利と反織田勢力の勢力圏(旗は紫色)、緑色が織田勢力の勢力圏(旗は黄色)です。
 
 織田勢力は、赤松政秀(演:団時朗さん)の遺児で龍野赤松家の赤松広英(広秀)、置塩城の赤松則房、姫路の黒田(小寺)官兵衛、御着の小寺政職、三木の別所長治、摂津の荒木村重(演:田中哲司さん)、高山右近、中川清秀、但馬の山名祐豊がいます。浦上宗景は播磨で失地回復のための活動を行っています。鳥居安芸守という新キャラが出てきていますが、赤松本家の奉行人として活躍した人物です。
 反織田勢力は、浦上家の正統な当主である浦上久松丸を擁する備前の宇喜多直家(演:陣内孝則さん)が西播磨まで進出しており、光の姉、力(演:酒井若菜さん)の嫁ぎ先の上月景貞等が宇喜多直家の勢力下に入っています。
 丹波では、内藤ジョアン等の出頭命令が出された後、但馬に侵攻した赤井直正を討伐するため、明智光秀、山名祐豊、山中鹿之介等の討伐軍が丹波を攻撃しますが、天正4年(1576年)1月、波多野秀治の反乱により明智光秀率いる討伐軍は撃退されてしまいます。
 2月には、将軍足利義昭が毛利の下へ押しかけます。
 吉川元春、小早川隆景があぜんとした表情をしているように、毛利が将軍を招いたわけではありません。
 3月には、羽柴秀吉が毛利に織田信長の右大臣就任祝いの返礼状を出したりしていますが、この後、急速に織田と毛利の対立が進みます。
 5月に摂津で本願寺と織田軍が対決した後(天王寺合戦、天王寺の戦い)、淡路で菅達長が岩屋城を奪取します。
 大河ドラマ「軍師官兵衛」では、播磨に侵攻してきた毛利水軍・英賀衆連合軍と小寺軍との間で戦闘が勃発しますが(英賀の戦い,英賀合戦)、実際には天正5年の出来事とされています。
 天正4年7月13日には、毛利水軍が大阪湾に侵入し、織田方水軍との間で戦いが勃発します(第一次木津川口の戦い)。

 この後、天正5年(1577年)10月に羽柴秀吉の軍勢が播磨に入り、両軍の勢力は再び一変します。
 織田軍は、播磨と但馬の南半分を制圧しますが、天正6年(1578年)3月に別所長治が謀反を起こした後、10月~11月にかけて、摂津の荒木村重、御着の小寺政職が謀反を起こします。

 目まぐるしく勢力が変わりますので、折に触れて勢力関係図をアップしていきたいと思います。

大河ドラマ「軍師官兵衛」 第7話「決断のとき」 あらすじと感想

 天正元年8月頃,毛利の外交僧,安国寺恵瓊が姫路城を訪ねてきます。
 この後,毛利と小寺と宇喜多は,浦上久松丸の件で密約を結ぶはずですが,「軍師官兵衛」ワールドでは,密約は無かったことになっているようです。

 安国寺恵瓊以外にも光の姉の力や義兄の櫛橋左京進クンが姫路城を訪ね,毛利につくよう官兵衛を説得してきます。

 織田と毛利との対決が迫る中,官兵衛は御着から孤児の後藤又兵衛少年を引き取ります。
剣術のけいこで,後藤又兵衛は官兵衛の長男,松寿丸(黒田長政)をボコボコにします。又兵衛君は,天正3年当時で16歳と,そろそろ初陣に出てもおかしくない年齢なのに(石田三成と同年齢です),小さい子(松寿丸は8才)をイジメるのはダメダメです。又兵衛君は16歳にしては体格が良くないようですが,生活環境が悪かったのでしょうか(^^;)。
 官兵衛と光の会話で,後藤又兵衛の父親が小寺政職の家臣というトンデモ設定が判明。かつては,播磨守護も務めたのに,播磨後藤氏の落ちぶれっぷりは室津浦上家以上でした...
 羽柴筑前守の件といい,時代考証担当の小和田先生,またNHKに負けましたね...
 ところで、又兵衛君,姫路の北の野里という村に,芥田五郎衛門という官兵衛の同僚で親友の鍛冶屋さんが住んでいるので,困ったときは芥田さんを頼りましょう。秘密兵器を作ってくれるかも(*^-^*)

 天正3年5月,織田信長が長篠の合戦で武田勝頼を破ります。
 6月に小寺政職は御着城で会議を開き,織田につくか毛利につくか家臣を集めて議論させます。
 天正3年6月の段階では織田と毛利は,表面上は友好関係を保っていますので,織田と毛利の両方につくことも可能ですが,解りやすい大河ドラマ「軍師官兵衛」では,そういう高度な外交というのは無理らしいので,二者択一です。
 小寺政職の家臣でもないのに,なぜか軍師官兵衛ワールドでは,小寺政職の家臣に落ちぶれさせられた櫛橋左京進クンは,小寺家が毛利につくように説得しますが,(片岡鶴太郎さんが前世の井上元兼の記憶を呼び覚ましたのか、小早川隆景が備中の三村元親に加えた仕打ちを知っている?)小寺政職は,官兵衛の勢いに負けて,本願寺門徒にもかかわらず,織田につくと決めてしまいます。
 小寺政職は,織田信長と官兵衛を面会させるべく,岐阜城に官兵衛を派遣します。7月に信長は京都に上洛して,別所長治と面会しているのですが(^^;)
 前回の放映時間変更に続いて登場した強敵カーリング!視聴率はどうなるのでしょうか!

(今週の突っ込み)
 小谷城に居住しようという秀吉に,おねが「落ちた城が縁起が悪い」「岐阜を手本に城下町を作れ」との一言...
 斎藤氏の岐阜城を居城にした信長はどうなる。

試験に出る官兵衛くん。 その1 ~播州後藤氏の栄光~

 大河ドラマ「軍師官兵衛」でも、第7話「決断のとき」から、いよいよ官兵衛の家臣で2番目に強いと評判の後藤又兵衛(成人後は塚本高史さんが演じます)が登場します。
 黒田官兵衛は、両親が死んでみなしごになった後藤又兵衛という少年を、御着の小寺政職からもらいうけるそうです。
 後藤又兵衛は、播磨後藤氏の出身です。播磨後藤氏というのは非常に名門で、世が世なら赤松、小寺、黒田等よりずっと上だったのですが、大河ドラマではその辺は触れられるのでしょうか(^^;)

 さて、前回の続きです。後藤実基(ごとうさねもと)の養子の後藤基清(ごとうもときよ)は源頼朝の家臣として、源平の合戦で活躍します。
 後藤基清は、源義経の部下(あくまでも義経とは上司・部下の関係です)として、源平合戦を戦い、勝利します。後藤基清の活躍は平家物語にも記されています。
 ここで、試験に出るポイント。
 後藤基清のような、源頼朝の家臣を「御家人」と呼びますが、御家人は、源頼朝と直接主従関係を結んでおり、主君はあくまでも頼朝です。御家人には大名クラスの大きな領地を持っている武士から、旗本クラスの小さな領地しか持っていない武士までいろいろいますが、
 基本的には御家人同士では対等です。
 御家人は、みな、源頼朝の直臣という意識があります。
 したがって、指揮官である源義経が命令しても、御家人には「あんたの家来じゃね~よ」という意識が根底にありますので、なかなか源義経のいうことを聞かないということになります。
 織田信長の直属軍団の上司・部下の関係(例えば、羽柴秀吉と竹中半兵衛、柴田勝家と前田利家など)と比較すると、かなり前近代的な関係にすぎないことがわかります。
 
 これでは、幕府の方も地方の武士の統率に困りますので、幕府の役職として、各国ごとに守護という役職をおきます。守護というのは、その地域の武士のリーダーです(守護と地元の武士の関係は、あくまでも本来は上司・部下の関係にすぎません)。幕府の制度として、各地の武士は、守護の指示に従えということにしたわけです。
 
 後藤又兵衛君の先祖の後藤基清は、鎌倉時代初期に播磨の守護に任命されます。
 ということで、世が世なら、政職くんや官兵衛くんは後藤さんの言うことを聞かないといけなかったのかもしれないということで、次回に続きます。 

第145話 岩屋城の戦い

戦え!官兵衛くん 第145話
 淡路水軍を率いる三好氏出身の安宅信康は、早くから織田信長に臣従し、九鬼水軍と共に織田水軍の中核を担っていました。
 安宅信康は、三好長慶の弟の安宅冬康の子(⇒三好氏家系図)ですが、父親の安宅冬康が、松永弾正の讒言により、無実の罪で三好長慶に殺害されてしまった(⇒第6話)という事情があり、早くから織田についていました。
 安宅「信」康は織田信長から「信」の字をもらっていますが(★1)、名前の上の字を貰うというのは、下の一字を貰うことに比べて大変な栄誉でした。多くの人は信長の「長」の字の方を貰っています。
 織田長益(有楽斎)のような一門衆や、森長可や別所長治のような信長に目をかけられた家臣でも、「長」の字の方しかもらっていません。黒田官兵衛の長男の黒田長政も下の字を貰っています。

 その頃の淡路は淡路十人衆という国人勢力が分立し、大半は織田についていました。しかし、菅水軍を率いる菅達長(かんみちなが)は、毛利氏と結び、淡路島北端の岩屋城を安宅信康から奪います。
 瀬戸内から大阪湾に入るルートは、淡路島の北の明石海峡と南の鳴門海峡の2つがありますが、明石海峡に面する岩屋城は大阪湾への進入口を抑える戦略上の最重要地点でした(★2)。
 岩屋城へは、雑賀孫一率いる雑賀衆500が入ります。
 大阪湾への進入ルートを押さえた毛利水軍は、天正4年(1576年)7月、織田軍の包囲されていた本願寺を救援するため10万石の兵糧を積み込み、東へと出撃します!
 ついに織田と毛利との直接対決が始まりました!(★3)。

★1 家臣等が主君の名前の一字を貰うことを偏諱(へんき)と言います。
 通常は、主君の名前のうち下の一字を貰い、自分の名前の上に付けます。主君の名前の上の一字をもらうのは、特別な場合です。
 (例)将軍 足利義「晴」 ⇒ 播磨守護 赤松「晴」 ⇒ 小寺職,赤松
★2 この当時の岩屋城は、後に作られた岩屋城よりも西に位置します。明石海峡大橋の西側付近と思われます。
 なお、鳴門海峡は渦潮が発生するため、大艦隊の通行には不向きでした。
★3 大河ドラマ「軍師官兵衛」では、英賀合戦(英賀の戦い)を天正4年5月にしてしまっているので、毛利軍が最初の敵として小寺政職・黒田官兵衛主従を狙い撃ちするという、戦略的に変なことになっています。通説通り、英賀合戦は天正5年に発生したと考えるのが自然でしょう。 

戦え! 官兵衛くん。 ダイジェスト版⑥

 大河ドラマ軍師官兵衛 第7話「決断のとき」に登場する話のダイジェスト版です。
戦え!官兵衛くん 第126話
 小寺政職・小寺(黒田)官兵衛の活躍(?)により、小早川隆景率いる毛利軍は備中(岡山県西部)の三村元親を滅ぼします。※この時点では、小早川~宇喜多~小寺の間で密約が出来ています。
 また、備前(岡山県東部)の宇喜多直家は、小寺家から送られた正統な浦上当主の浦上久松丸(官兵衛の甥で、官兵衛の妹と浦上政宗の息子との間の子)を旗頭に、主君の浦上宗景に対する下剋上を行います。
 同じ頃、但馬(兵庫県北部)の山名祐豊は、毛利氏との間に和睦を結び、降伏します(芸但和睦)。
 これで、官兵衛達のいる播磨(兵庫県西部)は、
                     能登
   毛利 毛利 毛利 丹波 織田 本願寺 上杉
毛利 毛利 毛利 播磨 織田 織田 織田 武田 北条
          淡路  本願寺 織田 徳川 北条
     四国 四国   雑賀 織田
     四国 四国    魔 界
 といった状況になります。
 おまけに、滅亡寸前の龍野赤松に進出しようとしても、故赤松政秀の娘のさこの方が織田信長の養女になっている関係で、手を出すのが難しいといった状況になってしまいます。

 戦え!官兵衛くん 第127話
 さらに間の悪いことに、織田信長は丹波の内藤ジョアン等の反信長勢力を討伐しようとしていました。丹波平定が済めば、播磨の小寺家が次のターゲットになることは十分予測されるような状況でした。
 天正3年(1575年)6月、小寺政職は家臣を御着城に集め、織田につくか毛利につくかの会議を行い、黒田官兵衛の説得で小寺家は織田に臣従することになったとされています。
 実際には、この時点での議題は、織田に臣従するか・しないかだった可能性のが高いとは思います(^^;)
 6月27日、織田信長は上洛し、丹波の内藤・宇津氏等が京都に出頭するように求めます。
戦え!官兵衛くん 第128話
 天正3年(1575年)7月1日、東播磨の別所長治、叔父の別所賀相、別所重棟等は上洛し、織田信長と面会します。
 結局、丹波の内藤・宇津氏は京都に出頭しなかったため、織田信長は越前征伐に続き、丹波討伐を決意します。

 さて、黒田家の記録では、官兵衛は7月に「岐阜城」で織田信長と面会したことになっていますが...
 実際には7月中旬まで、織田信長は京都に滞在していますので、本当に岐阜で面会したのかどうかについては疑問です...
 常識人であれば京都で面会すべきなのですが(信長が西国の大名との面会を求めて上洛しているので、京都で会わずに岐阜であったというのは非常に失礼な話です)、7月中旬までに官兵衛が上洛できない事情(あるいは京都で面会したことにできない事情)が何かあったのでしょうか?

第144話 天王寺合戦⑥

戦え!官兵衛くん 第144話
 天王寺合戦編の最終回です。
 天王寺砦を包囲する本願寺勢を撃破した織田軍は、石山の本願寺を包囲します。
 織田信長は、本願寺を取り囲む砦の建設を指示します。本願寺も逆に砦を築いて対抗し、長期戦となります。
 
 織田信長は、戦死した原田直政の一族を追放処分にします。原田直政は妹が織田信長の側室であり、大和・南山城守護に任命されるなど、大抜擢を受けていましたが、残された一族には過酷な処分が下されてしまいます...小寺政職や別所賀相が欄外で「信長は訳が分からん!」と嘆いていますが、(表に出ている情報では★1)原田直政は三好康長や根来衆(★2)が戦場から離脱する中、一人奮戦して敵を食い止めていたのですから、どうしてこのような処分が下されるのか全く分かりません...
 前回(⇒第143話)、別所長治も織田信長につられて、思わず戦国無双をしてしまいましたが、当主の長治が戦死すれば、別所家も原田家と同じような運命をたどったのかもしれないと考えると、賀相もゾッとしたのかもしれませんね...
 
 原田直政の後任には、筆頭重臣の佐久間信盛が選ばれ、本願寺包囲を担当します。佐久間信盛率いる部隊は織田の最大軍団となり、三好康長や根来衆といった原田直政旗下の武将も佐久間信盛の指揮下に入ります。

 砦の守備部隊の中に、松永弾正の姿もありましたが、松永弾正は織田信長に降伏した後、ジリ貧状態になっていました...
 大和のライバルであった筒井順慶(⇒第63話)はおろか、信長旗下では新参で旧主家筋(三好氏)の三好康長(⇒三好氏家系図:三好康長は三好長慶の叔父、三好三人衆の三好政康・三好長逸とは、いとこ★3)にも大きく差をつけられていました...

 その頃、淡路島では淡路水軍の菅達長(かんみちなが)が暗躍していました。次回、またまた急展開!

 ★1 原田直政の家臣から本願寺に事前に情報が流れたので、待ち伏せされたのではないかという説を読んだことがあります。ただ、仮に事実であっても、表ざたになっていないので、他の家臣達がどう思うのかは...
 ★2 「根来衆は織田信長の敵じゃないの?」と聞かれましたが、根来衆が夕里弾正に依頼されて信長と戦ったというのは、仮面の忍者赤影の話ですがな(*^-^*)
 織田信長は合理主義の精神で近代化を推し進め、近世への道を開いた等とされていますが、実際には中世の申し子のような連中も傘下にいたのです。史実では怪獣は出てきません(^^;)
 ★3 1531年、三好康長の兄の三好元長は細川晴元の家臣として、播磨守護の赤松晴政、若き日の小寺政職等とともに、将軍足利義晴方の細川高国と浦上村宗を打ち破っています(⇒外伝 宇喜多直家物語④)。まさに今回の天王寺合戦と全く同じ場所で戦っていた訳で、歴史の不思議を感じます。

試験に出る官兵衛くん。 ~播州後藤氏の栄光 その0~

 今、大学受験のシーズン真っ盛りです。日本史で受験する奇特な方向けに、「戦え!官兵衛くん。」でも受験対策を書いてみたいと思います。
 題材は、松本多喜雄先生の名著、「播州後藤氏の栄光」で有名な後藤又兵衛基次の出た播州後藤氏です。
 
 平安時代は、藤原氏が宮中の重要なポストを牛耳っていました。しかし、藤原氏の一族の中でも中心から離れていった人たちは、中央では出世の機会が閉ざされていたため、地方で活路を見出すようになっていきます。
 芥川龍之介の小説、「芋粥」に登場する藤原利仁もその一人でした。
 
 後藤氏も、もともとは名門藤原氏の一族でしたが、世代を重ねるにつれ、公家社会での出世を諦め、武士として活躍するようになりました。
 後藤実基(ごとうさねもと)は、源氏の家臣として、平治の乱や源平の合戦で活躍します。実基の養子の後藤基清(ごとうもときよ)も源頼朝の家臣として、源平の合戦で活躍します。
 次回、後藤基清を題材に受験向けの話を始めたいと考えています。

備前浦上氏 中世武士選書12

 新進気鋭の若手研究者の渡邊大門さんの著作、「備前浦上氏 中世武士選書12 」をご紹介します。
 戦国時代の小説やドラマでは、ほとんど触れられない浦上氏にスポットを当てた著作です。
 大河ドラマ「軍師官兵衛」には、室津の浦上政宗・清宗父子が登場しますが、おたつの婚礼の際に一瞬登場しただけですし、浦上宗景に至っては名前すら出てこないという有様です(^^;)
 浦上政宗・宗景の父、浦上村宗は戦国時代最大の一発屋で、一時は12代将軍足利義晴を擁立してブイブイ言わせていたのに、扱いの悪さというか、凋落ぶりは半端ではありません。

 浦上氏はもともとは播磨(兵庫県西部)の出身ですが、備前(岡山東部)を中心に勢力を伸ばしていました。なぜ、備前に勢力を伸ばすことになったのかという点も詳しく述べられています。
 値段も歴史書にしては安いので、お勧めです!
 amazonはこちら⇒備前浦上氏 中世武士選書12 (amazon)

 実は、この漫画をかなり描いた後に、渡邊先生の本を読んだのですが、衝撃の記述が...
 渡邊大門先生の見解によると
 浦上宗景と宇喜多直家は対等の同盟関係であった
 とされています。
 宇喜多直家と浦上宗景が対等の関係だとして、再評価しますと、
 宇喜多直家は浦上を倒した逆臣
 ではなく、
 宇喜多直家は一代で戦国大名に上り詰めた英雄
 ということになります。

 話の流れが大きく変わってしまうので、見なかったことに(^^;)
 というより、渡邊大門説が正しいとなると、宇喜多直家の登場するドラマ・小説のほとんど全てがひっくり返ることになります( ゚Д゚)

 応仁の乱の際、東軍の赤松政則・浦上則宗が、西軍の勇将、越前の朝倉孝景(7代目)をヘッドハンティングした経緯が、渡邊先生によると、加賀の赤松の勢力を維持するためとされるなど、krokanprojectと考えの違う点(斯波義敏の越前守護剥奪とセットですので、個人的には東軍内部で加賀の富樫と赤松との対立を調整したのかと思います)もありますが、目からうろこが落ちること請け合いですので、お勧めです!

第143話 天王寺合戦⑤

戦え!官兵衛くん 第143話
 織田信長は3000の兵を率いて天王寺砦包囲網を突破。1万5000の本願寺勢に包囲された天王寺砦の部隊との合流に成功します。
 砦に入った織田信長は、部下の制止を振り切って、本願寺に撤退する天王寺砦包囲軍の追撃を命令します。
 追撃戦では、東播磨の別所氏当主の別所長治も活躍し、信長の激賞を受けたと伝えられています(★1)。

 本願寺勢の方がはるかに数が多いにもかかわらず、勢いに乗った織田軍は本願寺勢を撃破します。
 またもや、信長自身が先頭に立ち、前線で奮戦しますが、雑賀孫一率いる雑賀衆に狙撃され、織田信長は脚に銃弾を受け負傷してしまいます...

 信長の命に別状はなかったようですが(★2)、一歩間違えば戦死していたかもしれず、織田信長の死=織田政権崩壊が現実になろうとしていたことから、織田信長の家臣に恐怖が走りました。

 次回は、天王寺合戦編の最終回です。織田家中に激震が走ります。

 ★1「別所記事 別所小三郎長治播州三木落城濫觴事」による。まぁ、軍記物ですので、黒田家譜同様話半分で聞いてあげてください(*^-^*)
 ★2信長公記によると軽傷とのことですが、この後、信長は1月ほど本願寺包囲の砦にとどまりますので、実際はそこそこの負傷だったのかもしれません。もしくは、当時の軽傷の範囲には、全治1月くらいの創傷も含まれていたのかもしれません。現在でいう「かすり傷」程度なら、記録にも残らないでしょうし。

第142話 天王寺合戦④

戦え!官兵衛くん 第142話
 織田信長は、本願寺勢により陥落寸前の天王寺砦を救うべく、若江城で軍勢の終結を待っていましたが、兵は中々集まりませんでした。このとき、配下の将は集まったものの、足軽などがまだ到着していないという状態でした。
 信長は、天正4年(1576年)5月7日、わずか3000の軍勢のみで1万5000の兵に包囲された天王寺砦救援へと向かいます。
 信長は、荒木村重に先陣を命じますが、荒木村重は作戦を無謀と考えたのか、「木津方面の押さえを担当します。」と主張し、先陣を拒否します。信頼していた荒木村重の抗命により、織田信長と荒木村重の間に少しずつ亀裂が入っていくことになります。

 天王寺砦は本願寺勢に包囲されていましたが、織田信長自身が前線に立ち、包囲網を突破します。織田信長は、明智光秀等、本願寺砦の守備隊との合流を果たすことが出来ました。

 次回、信長に危機が...

三木城の戦い(三木合戦) ~メモ~

 いよいよ、天王寺合戦、岩屋城の戦い(淡路島の方)、第一次木津川口の合戦、雑賀攻め、英賀の戦い(英賀合戦)、第一次上月城の戦い、加古川評定、三木城の戦い(三木合戦)、神吉・志方城攻め、第二次上月城の戦い、荒木村重・小寺政職の謀反、有岡城幽閉と黒田官兵衛の周辺のドラマが急展開していきます。
 漫画を描いている中で気づいたことを箇条書きにしてみました。

・岩屋城の戦いは超重要。というより、岩屋城が戦略拠点として超超超重要。
・英賀の戦いは結構、重要。小寺方は戦術的に毛利に勝利するも、織田全体でみると戦略的に毛利に敗北。
・竹中半兵衛の病状は、播磨に来た時点で、既にかなり深刻だったのかも?
・第一次上月城の戦いの戦果と戦闘経過は???
 竹中半兵衛と黒田官兵衛が囲師必闕の戦法で福原城を落したということは地形的にあり得ない。
 落したのは高倉山の砦では?
・加古川評定で別所が秀吉に罵倒され、織田からの離反を決めたというのは別所のプロパガンダ。
 実際には加古川評定の前に既に離反を決めていた可能性が高い。
・三木城攻めを企画立案したのは織田信長。秀吉は意図的に外されている。
・三木城攻めの初期段階で黒田官兵衛が戦略決定に参加した可能性は乏しい。
 中期は皆無(有岡城に幽閉されているので)。
 竹中半兵衛が織田信長の作戦立案に協力した可能性は若干あり(下準備以上の協力の可能性は?)。
・秀吉が信長に干されている時期に竹中半兵衛は但馬へ秀吉と同行。かなり病状が悪かったのか?
・三木城攻めに至る過程の戦術は、織田・毛利共に非常に的確。別所の戦術は×。
 官兵衛も別所方の調略で大活躍するが、なぜか小説等では触れられない。
・荒木・小寺造反後の黒田家の孤立感を強調するためか、小説等では、播磨の織田方の勢力が過剰に少ないことにされている場合が多し。
・謀略の天才、宇喜多直家さんは神。信長・秀吉以外で一番得をしたのが宇喜多直家。
・毛利は、海賊衆・宇喜多直家に引っ張られた感が強い。というより、宇喜多直家に利用された感も。
・宇喜多直家の調略はチームの仕事。官兵衛のみの功績ではないし、むしろこの分野の官兵衛の功績は少ない。
 ※直家を調略するより、信長の了承をとる方がはるかに難しいと思われます。
・直家が織田に下ったのは、浦上残党の蜂起が失敗に終わった後。この頃、官兵衛は有岡城に幽閉中。
・毛利に何とかしてほしかったのは荒木村重だけではない。但馬衆も毛利に直談判するも、援軍は無し。
 結局、捨石にされる...毛利は勢力温存に成功。
・羽柴秀吉と秀長は政治的怪物。官兵衛どころか織田信長をも軽く凌駕しています。

(わからなかった点)
・明石氏が、別所の謀反の際、一度、織田から離反したのかどうか。
・播磨に派遣された柴田勝家は、その後、どこに回されたのか?
・小寺政職は、荒木村重に官兵衛をどうしてほしかったのか。
(謎の人物)
 古志重信 旧尼子家臣で尼子再興運動に加わるも、毛利に降伏。毛利方として但馬・播磨の調略を担当した人物。

第141話 天王寺合戦③

戦え!官兵衛くん 第141話
 天正4年(1576年)5月3日に原田直政率いる木津砦攻略部隊を壊滅させた本願寺勢は、織田方の天王寺砦に迫り、猛攻撃を加えます。
 明智光秀等が籠る天王寺砦は、陥落寸前となり、織田信長の下に救援の要請が届きます。
 5月5日、京都にいた信長は、天王寺砦救援のため、100人ほどの兵を連れ、湯帷子姿のまま馬を駆り、天王寺へと向かいます。
 若江城(東大阪市★)に入った信長は、増援を待ちますが、急なことで兵は中々集まりませんでした。

★大河ドラマ「軍師官兵衛」第6話「信長の賭け」で、将軍足利義昭が槙島城から移った城です。
 三好家当主(当時)の三好義継が戦死してから、織田信長方の城となっていました(⇒第98話)。

第140話 天王寺合戦②

戦え!官兵衛くん 第140話
 第6話「信長の賭け」 の視聴率が15%と苦戦している軍師官兵衛ですが、次回第7話「決断の時」は小寺家の行く末を議論した御着評定がテーマです。
 ※御着評定については、こちらをどうぞ。 御着評定①⇒第126話  御着評定②⇒第127話

 御着城で「小寺が織田につくか、毛利につくか議論された」のが1575年6月とされています。
 おたつと浦上家の婚礼が1564年ですので、番組上では第2話から既に10年以上も経過していることになります。御着評定から本能寺の変(1582年6月)まで7年ですから、展開が速いですね(その分、中身がスカスカなんですが...)。
 
 御着評定において、小寺政職の前で、櫛橋左京進クン(★1)等を論破し、織田を選択することに決定させた官兵衛は「スゲー」という流れになりそうですが...

 世間では、なぜかあまり認識されていないのが、
  最終的に失敗したのは織田信長の方 
  生き残ったのは毛利の方 
 だということです。
 織田信長は本能寺の変で明智光秀に殺害された後、羽柴秀吉に政権を簒奪され、織田家は見る影もなく衰退します。
 羽柴秀吉は、天下取りの過程で織田信長の三男織田信孝を自害させ、人質となっていた信孝の母(つまり織田信長の妻)と子等を処刑します。
 信長が下賤の身から引きたててやったはずの羽柴秀吉により、織田家は転落させられてしまうことになります。

 なお、本能寺の変の直後、黒田官兵衛は、信長の死を知り、落胆する羽柴秀吉に「天下を取れ」等と言ったとされます(黒田家譜では「天下の事柄」をとれと言ったとされます)。
 しかし、「天下を取れ」ということは、「織田信長の一族を排除(殺害を含む)せよ」ということを意味します。本当に官兵衛が「天下を取れ」等と言ったのか強く疑問を感じます。
 
 織田家崩壊に至る兆しが鮮明に表れているのが、天王寺合戦(天王寺の戦い)です。本能寺の変の後、読み返されると非情に感慨深いものがあると思われます。

 それでは本題に入ります。
 信長軍は、本能寺の北・東・南の三方を包囲します。残る西(大阪湾)を封じるべく、天王寺砦に明智光秀を入れ、原田直政に本願寺方の木津砦の攻略を命じます。
 原田直政の木津砦攻略軍の第一陣は、三好長老(★2)の三好康長と根来衆でしたが、本願寺方の雑賀孫一(雑賀孫市)率いる雑賀衆の奇襲を受け、戦場から離脱します。
 本軍の原田直政は、雑賀衆を食い止めるため奮戦しますが、戦死してしまいます...

 ★1 官兵衛の義兄の櫛橋左京進は小寺政職の家臣ではないので、御着城にいるはずもありませんし、官兵衛をイジメるはずもありません。全くのえん罪です(^^;)
 ★2 三好康長については、こちらをどうぞ。⇒三好氏家系図
 三好三人衆の時代は、三好氏は織田信長と敵対していましたが、この頃は織田信長の傘下に入り、三好長老の三好康長が信長の重臣として重用されるようになっています。
 小説等では、御着評定で、織田・毛利・三好の天下取りの可能性を比較した等とされるものもありますが、三好氏は既に織田の軍門に下っていましたので、三好氏の天下取りを論じる等ということは非常に考えにくいと思われます。
プロフィール

kurokanproject

Author:kurokanproject
NHK大河ドラマ軍師官兵衛の主人公黒田官兵衛を紹介するマンガを描いています。
織田信長や羽柴秀吉といった歴史上の大人物、黒田官兵衛、小寺政職、赤松政秀、別所重宗といった播磨の武将達や、浦上宗景、宇喜多直家、荒木村重、松永弾正といった一癖も二癖もある連中が活躍します。

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ぜひ、第0話から読んでみてください(*^_^*)

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