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外伝 宇喜多直家物語⑥

戦え!官兵衛くん 宇喜多直家物語⑥
  NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の宇喜多直家役に陣内孝則さんが決まったことを記念する外伝宇喜多直家物語の第6話です。
 
 天文20年(1551年)の尼子軍の侵攻(外伝第5話)は、尼子軍の撤退により、とりあえずの危機を脱します。
 強大な尼子軍の圧力を受け、浦上政宗(浦上宗景の兄、黒田官兵衛の妹~大河ドラマでは初恋の人、おたつ~の舅)は親尼子の立場を取ります。しかし、これに反発する宇喜多直家の主君、浦上宗景は反尼子の立場を貫こうとし、政宗からの独立を志向するようになります。

 浦上宗景の家中では、浮田国定という男が親尼子派の中心でした。浮田国定は、宇喜多一門でありながら、島崎盛実の宇喜多能家(直家の祖父)攻撃(外伝第1話)に加担し、宇喜多能家の居城、砥石城を手に入れていました。
 宇喜多直家は、親尼子派で浦上政宗に接近する浮田国定の排除を、浦上宗景に進言しますが...
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第98話 三好義継戦死

戦え!官兵衛くん 第98話
 三好家当主の三好義継は、義兄の将軍足利義昭とともに河内若江城で織田信長に反抗します。
 しかし、天正元年(1573年)11月、織田信長が佐久間信盛率いる軍勢を派遣すると、足利義昭は若江城から逃亡してしまいます。旗頭の将軍が逃亡したことから、若江城の士気は低下します。

 このような事態に、義継の家老の若江三人衆は、織田信長方に内通し、織田軍を城に引き入れます。三好義継は奮戦しますが、自害を余儀なくされます。なお、義継の家老の若江三人衆は、以後、織田信長の家臣として活躍します。
 この後、三好氏は、三好長治が暴走を加速させる等、さらに混乱を深めていきますが、意外なところから三好氏の救世主が現れます...

第97話 三好家の内紛②

戦え!官兵衛くん 第97話
 織田信長は、三好家の十河存保に対し、反信長派の三好家当主、三好義継を攻撃すれば、恩賞を与えようと持ちかけます。
 三好義継は、当初は三好旧臣の松永弾正と組んで織田信長とともに、三好三人衆と敵対していました。しかし、その後、松永弾正と共に織田信長に謀反を起こし、敵対していました(第71話)。

 三好家の主導権を握りたい、十河存保や三好長治、篠原自遁(篠原長房の弟)等は、反対派で反信長派の名将篠原長房を攻撃し、自害させます。
 落ち目の三好家を支えていた篠原長房が粛清されたことで、三好家はさらに衰退していくことになります...
 
 篠原長房は、現在ではあまり知られていない人物ですが、織田信長も恐れたという名将です。何よりすごいのが移動距離で、西宮に上陸した後、岡山の児島で戦ったと思えば(第56話)、今度は高槻城包囲に参加と(第62話)、水軍の機動力を生かした作戦を展開しました。

 なお、篠原長房の弟、篠原自遁は、十河存保や三好長治の母親の小少将と密通していたと言われています。また、小少将と前夫の阿波守護細川持隆との子、細川真之も篠原長房攻撃に加わっていたとされます。十河存保、三好長治兄弟から見ると、重臣の篠原自遁は母の愛人、名目上の主君である細川真之は異母兄ということになり、かなりドロドロとした人間関係になっています...

第96話 三好家の内紛①

戦え!官兵衛くん 第96話
 話は、将軍足利義昭と織田信長の抗争の最中に戻ります(第81話以降の頃です)。
 元亀4年(1573年)4月、織田信長は、密かに三好家の十河存保(そごうまさやす)という男と面会します。
 織田信長は、十河存保と密約を結ぼうとしていました...

 ここで、三好家の関係を説明します。十河存保は、天下人三好長慶の弟、三好実休と美女小少将との間の子ですが、叔父の十河一存(そごうかずまさ)の養子となり、十河家を継ぎます。十河一存の息子の三好義継は、三好長慶の養子となり、三好家当主となっているという、ちょっと複雑な関係です。十河存保の兄が戦国最凶の男の一人、三好長治です。
 三好家の、より詳しい家系図と説明は、番外編04三好家家系図をご覧ください。

 ※織田信長と十河在保が面会したとされていますが、当時の信長のスケジュールを考えると、直接、会ったとは考えにくいと思われます。もっとも、面会の方がドラマチックなので漫画では面会したことにします(^^;)

第95話 鳥取城の戦い

戦え!官兵衛くん 第95話
 因幡の国人の武田高信は、中国の雄、毛利氏の援助を受け、因幡守護の山名氏と対立していました。但馬守護の山名祐豊は、甥の山名豊国と山中鹿之介(大河ドラマ「軍師官兵衛」では、別所哲也さんが演じます)等、尼子遺臣を支援し、武田氏に対抗させます。
 天正元年(1573年)8月、山名豊国と尼子遺臣軍は武田方の鳥取城を攻撃し、占領してしまいます。
 しかし、鬼吉川(2代目)の吉川元春率いる毛利軍の反撃を受け、10月には山名豊国は降伏してしまいます。
 山名豊国が毛利方に下ったことで、尼子遺臣は因幡の山名豊国の援助を受けられなくなります。

 この時点では、尼子遺臣は、まだ但馬の山名祐豊の援助を受けていたようですが、山名祐豊も甥が毛利についたことで微妙な立場に置かされることになります。

 ところで、織田信長は、当時は友好関係にあった毛利氏の要請を受けて、播磨の小寺政職等とともに、但馬の山名祐豊を追討しましたが(第22話)、堺の大商人の今井宗久(大河ドラマ「軍師官兵衛」では小西博之さんが演じます)の要請を受けて、山名祐豊を赦免してしまいます(第33話)。
 織田信長が、反毛利の活動を行う尼子遺臣を支援する山名祐豊を傘下に置いていることで、織田と毛利の関係も悪化してゆきます。

 次回からは三好氏分裂編です。一時は天下の覇権を握っていた三好氏は、織田信長の攻勢と内部分裂により急速に勢力を衰えさせていきますが、その後は...驚きの展開になります。
 三好氏と小寺政職・黒田官兵衛とは、織田信長の播磨・但馬侵攻(第22話)の際も、三好重臣の篠原長房が小寺政職に救援を申し出るなど、反信長時代から密接な関係を築いていました。この後、黒田官兵衛は、三好氏との関係を生かして、大活躍することになります。

第94話 第二次長島攻略

戦え!官兵衛くん 第94話
 浅井・朝倉を滅ぼした信長は、織田信長狙撃犯である杉谷善住坊(第36話)を、ノコギリ引きの刑で処刑した後、懸案の長島一向一揆攻略に乗り出します。
 なんと、第2回目の攻略には、越前衆も参加させられていました...つい、この間、信長に臣従したところですが、さっそく軍役を課せられるとは、織田信長は人使いが荒すぎます...
 言うまでもなく、越前は戦火で荒廃したばかりです。兵農分離が完全にされていませんので、農民と区別がつかないような地侍や一般の農民も、秋の稲刈りの時期に多数、動員されてしまいます。
 ※織田軍は兵農分離がされていたので、兵農分離がされていない他の戦国大名を圧倒したというデマが広まっていますが、実際には織田信長直属の軍等を除く織田軍のかなりの部分は兵農分離が完全にされていません。

 第一回目の長島一向一揆攻略は惨敗しましたが(第59話)、第2回目の長島一向一揆攻略は、当初は順調に攻略が進みます。
 しかし、岐阜への帰路、織田軍は隘路で甲賀・伊賀衆の奇襲を受け、大損害を被ってしまいます。

 第2回目の長島一向一揆攻略軍の中に、旧朝倉家臣で戦国最凶の男(★)の一人、富田長繁(とだながしげ)が混じっていました。富田は長島一向一揆攻略で功績を上げますが、恩賞が少ないことに不満を覚えていました。また、越前はもともと一向一揆の勢力の強い土地でしたが、越前衆を一向一揆攻略に充てたことでも信長に対する反発が起こります。
 
 ★森長可とか三好長治も戦国最凶とか言っていたじゃないかという突っ込みもあろうかと思いますが、「戦国最凶の男」は、「織田信長最大の危機」のように複数存在します。
 後に黒田官兵衛の家臣にも、一人、「戦国最凶の男」が紛れこむことになります。大河ドラマでは「いなかった」ことにされるのは間違いないと思われますが(^^;)
 
 次回は、毛利と山名&尼子遺臣の鳥取城の戦いです。次々回から三好家分裂編を描き、第99話から播磨の話になります。
 我等が主人公の黒田官兵衛は第100話で久々に登場します。あいかわらず主人公があまり出てこない展開になっていますが、黒田官兵衛の活躍は、もう少しだけお待ちください(^^;)

第93話 浅井家滅亡

戦え!官兵衛くん 第93話
 越前攻略の勝利の中、木下藤吉郎は浅井氏の小谷城攻略のために近江へと引き返します。木下藤吉郎は、より大きな手柄を得るべく、朝倉残党追討や略奪といった目先の手柄や利益を、部下や家臣にきっぱり捨てさせます。
 8月26日に、織田信長の本隊が虎御前山の陣に帰還します。27日夜には木下隊が小谷城の本丸の一部を占領して、浅井長政と父の浅井久政を分断させます。日程的にみると、小谷城攻略は近江に残った押さえの部隊と木下隊が中心になって行われたと思われます。
 浅井長政は正妻のお市の方(信長の妹)と三人の娘を織田軍に引き渡した後、9月1日に切腹し、小谷城は落城します。

 戦後、近江攻略の功を認められた木下藤吉郎秀吉は、浅井旧領の多くを任され、名を羽柴秀吉に改名します。
 また、磯野員昌(いそのかずまさ、第58話で、浅井から織田に寝返った人)は、織田信長を狙撃した杉谷善住坊逮捕(第36話)の功績を認められ、近江高島郡を任されます。

 近江の地を任された木下改め羽柴秀吉は、この後、大出世への道を歩んでいくことになります。
 ※この時点では、羽柴秀吉が織田家中の中で抜群の地位にあるかと言えばそうでもなく、越前の大半を任された前波吉継は羽柴秀吉よりはるかに厚遇を受けています。
 この後も、織田信長は多くの人物を抜擢していくことなります...

第92話 朝倉家滅亡

戦え!官兵衛くん 第92話
 織田軍の越前侵攻により、朝倉勢の離反が相次ぎ、当主の朝倉義景は孤立無援となります。身内も信用できない状況の中で、朝倉義景はわずかな家臣と共に自害します。越前の雄、朝倉氏はここに滅びます...
 
 織田信長は、越前を平定しますが、旧朝倉家臣の多くの帰順を認めます。前波吉継を越前の守護代に任命すると共に、朝倉一門の朝倉景鏡(かげあきら)を大野郡司とする等、旧朝倉家臣を通じた統治形態を採用します。
 ところで、前波吉継は、守護ではなく守護代(守護に派遣された代官)の資格で越前を統治します。織田信長は、織田氏発祥の地、越前は自分こそが守護としてふさわしいと考えていたと思います。守護(その地域の武士のリーダー)を選ぶのは将軍の権限ですので、織田信長が天下人として、足利義昭に代わって天下を采配するという表明ではないかと思います。

 また、朝倉氏・織田氏とも名門斯波氏の家臣の出身ですが、この頃、斯波氏は当主が追放されるも、斯波一門は信長の家臣となるなど、完全に信長に取り込まれた状態でした。漫画にも描いていますが、細川家も信長の傘下に入っています。山名、京極と幕府の名門の大半が織田に臣従している状況です(畠山氏も織田派についていましたが、この頃、当主が殺害されています(第87話))。
 幕府の旧名門氏族で、ほそぼそとでも織田に対抗しているのは、将軍の側近を除けば、一色氏、赤松氏くらいになっています。幕府旧臣も将軍足利義昭とともに頑張る勢力もいましたが、相当数が織田信長に臣従することになります。

 次回、朝倉氏に続き、近江の浅井氏も滅亡します。

 ところで、兵力が少ない徳川家康が武田信玄と対決したのは無謀だったのではないかという声もあります(第76話)。しかし、朝倉義景の闘争心の無さが朝倉氏滅亡を招いたことを考えると、「眼前の敵に背を向けるわけにはいかない」という徳川家康の選択は、戦国大名としてやむを得ないものではなかったかと思います。

中世播磨と赤松氏

中世播磨と赤松氏(高坂好著)
 「戦え!官兵衛くん。」は、信長公記、姫路市史、兵庫県史、姫路城史等の歴史資料を元ネタに作成しています。特に参考にさせて頂いているのが、高坂好先生の名著「中世播磨と赤松氏」です。
 戦前は、赤松氏は朝廷に逆らう逆臣とされていましたので、公的な研究はほとんどなされていませんでした。そのためか、赤松円心と楠木正成が親類関係にあったこと(★)などは、「無かったこと」のようになっています。

 在野の研究者である高坂先生は、地元の食品会社のブンセンの取締役として経営に参画される傍ら、赤松氏の研究に生涯をささげられました。ブンセンは、瓶入り海苔の「アラ!」とか塩昆布の「塩っぺ!」といったユニークな製品名で、関西では有名な企業です。
 ブンセンからは、大河ドラマの便乗商品は出ていないようですが(^_^;)、ぜひ、黒田官兵衛のユルキャラの「かんべえくん」とか、地元龍野出身の赤松政秀をモチーフにした商品を出してほしいですね。ひょっとして今の若い社員は、昔の取締役が歴史研究の大家だと知らないかも...
 
 ★楠木正成の姉が赤松円心(則村)の弟の赤松円光に嫁いでいたとされます。赤松円光の系譜が、西脇の黒田庄の黒田氏で、最近話題の黒田氏西脇出身説によると、官兵衛は楠木氏の血を引いている可能性も出てきます。
 個人的には、西脇出身説も、決め手に乏しいように感じていますが(^_^;)

戦国クリスマスカード

戦え!官兵衛くん クリスマスカード
官兵衛くんのクリスマスカードを作ってみました。黒田官兵衛、大友宗麟、高山右近、内藤ジョアン等、「戦え!官兵衛くん。」で活躍するキリシタン大名を描いたカードです(なぜか赤鼻のトナカイは山中鹿之介です)。

 それでは、楽しいクリスマスを!

第91話 刀根坂の戦い③

戦え!官兵衛くん 第91話
 左の道を進んだ織田軍は、刀根坂付近で朝倉軍を攻撃し、朝倉軍に大損害を与えます。朝倉氏の一門や重臣を討ち取りますが、その中には織田信長の義理の甥で、元美濃国主の斎藤龍興の姿もありました。
 斎藤龍興は、竹中半兵衛に稲葉山城を乗っ取られた後(第5話)、織田信長に居城を奪われ、追放されます(第12話)。
 その後は、三好三人衆と組んで、足利義昭を攻撃したり(第19話)、野田・福島の戦いに参加したり(第41話)する等、織田信長への反抗を繰り返していました。
 しかし、三好氏の勢力が分裂してしまったため(番外編04)、越前の朝倉義景の下で信長との戦いを続けていました。
 斎藤龍興は、美濃国主時代の、旧重臣の嫡男に討ち取られたと伝えられています。

 ちなみに、この後、三好三人衆の主家である三好氏がどうなるのかと言うと...意外な事になります(^^;)

 敦賀に到達した信長は、旧朝倉家臣の前波吉継(第72話で織田信長に寝返った人)を案内役にして、8月17日に府中へと乗り込みます。
 若狭衆といった朝倉に恨みを抱く勢力だけではなく、朝倉の一門衆からも続々と織田に寝返る者が出てきます。
 若狭は、朝倉氏に乗っ取られた後、旧主家の武田元明(秀吉の側室である京極竜子の最初の夫の人)が朝倉の本拠地である一乗谷に軟禁されてしまっていました。囚われの主君を解放するため、若狭衆は朝倉氏攻撃に奮闘します。

 織田軍が8月8日夜半に近江へと進行してから、まだ10日しか経っていません。まさに電撃戦と呼ぶのにふさわしい戦いでした。

センゴク天正記

 歴史好きにおすすめの漫画が宮下秀樹さん作の「センゴク」シリーズです。主人公は仙石秀久というマイナー武将(仙石氏は出石を領有していましたので、兵庫では少しだけメジャーですが)のためか、斎藤龍興といったマイナー武将が大活躍する珍しい作品です。斎藤龍興が活躍する創作作品は、他にはコーエーの「決戦」シリーズしか知りません。
 最新作のセンゴク一統記(第三部)では、間島彦太郎氏勝といった播磨の戦国時代ファンが泣いて喜ぶようマイナー武将も活躍します(*^-^*)
 ドラマ・小説・ゲームを含めて、創作作品では一番、歴史考証がしっかりした作品ですので、硬派な歴史ヲタクというかマニアには超お勧めです。
 登場人物のキャラデザインを家中で統一する(武田家はハリウッド俳優、上杉家はロシア・ソ連の政治家)というアイデアは、「戦え!官兵衛くん。」でも参考にさせて頂いています(漫画センゴクでは、武田信玄がマーロン・ブランド、上杉謙信はプーチンがモデルになっています)。

 センゴク天正記(第二部)10巻は黒田官兵衛が表紙です。
 amazon センゴク天正記 第10巻

 次回、打倒信長に全てを捧げた男、斎藤龍興が戦死します(合掌)

第90話 刀根坂の戦い②

戦え!官兵衛くん 第90話
 ようやく後続の部隊が織田信長に追いつきます。配下の諸将は信長に詫びますが、重臣筆頭(当時)の佐久間信盛が「我々程の家臣は中々いないのでは...」等と余計なひと言を言ってしまったため、信長の怒りは頂点に達してしまいます...

 逃走する朝倉軍を追撃する織田軍は、敦賀方面と府中方面の分岐点に差し掛かります。どうやら朝倉軍は軍勢を二手に分けたようですが、織田信長は朝倉の本拠地一乗谷へ向かう右の道ではなく、一乗谷を離れた敦賀方面へ向かう左の道に進むように命令します。

 織田信長は、左の敦賀方面へ向かう馬の歩幅の方が広かったため、軍馬は左に向かい、荷駄馬が右に向かったと見たこと、敦賀の方面には、とりあえず避難できる城が近いこと等から、朝倉義景は一直線に本拠地に帰還したのではなく、裏をかいて敦賀経由のルートを取ったと判断しました。
 はたして、朝倉義景は、どちらの道を選んだのでしょうか?

番外編05 帰ってきた赤松政秀

戦え!官兵衛くん 番外編05 帰ってきた赤松政秀
 大河ドラマ「軍師官兵衛」で、黒田官兵衛の最初の宿敵となる龍野城主赤松政秀は、団時朗さんに決まりました(*^-^*)
 「帰ってきたウルトラマン」の郷隊員が代表作ですが、最近では、NHKの朝ドラ「カーネーション」で店主役を好演されていましたね!達者な役者さん揃いで楽しみです。

 ところで、赤松政秀は、そこそこ優秀な戦国大名という側面の他に、毛利元就の愛刀の「つば」を製作する工芸家の側面と、蔵書数千冊を誇る教養人としての側面も持っていました。息子の赤松広英は、羽柴秀吉の下で黒田官兵衛の同僚として活躍しますので、官兵衛も赤松政秀の本を借りて勉強したのかもしれませんね。

 赤松政秀は浦上宗景に暗殺されてしまったので、本編での活躍はもうありませんが、娘のさこの方、息子の赤松広英は、この後も大活躍します。
 この後、さこの方は、織田信長と***な関係になってしまいます。嫁が宿敵の×××になってしまうなんて、足利義昭が可哀想です...

 ところで、秀吉の中国大返しの際、殿軍を務めたのは赤松広英なんですよ!
 赤松広英は、羽柴軍の殿軍という重要な任務を任されるほど、秀吉に信頼されていました!
 裏を返せば、明智光秀の対決の準備という重要な場面で秀吉の側に置いておくまでもないという微妙な評価ですが(^^;)
 赤松政秀の遺児、赤松広英とさこの方は、本編では、この後も龍野赤松家再興のために頑張っていきます(*^-^*)

 

第89話 刀根坂の戦い①

戦え!官兵衛くん 第89話
 天正元年(1573年)8月13日夜、浅井氏の援軍に来ていた越前の朝倉義景は、軍をまとめて撤退を開始します。
 前話(第88話)の大嶽山砦奇襲の際、織田信長は捕虜をすべて解放していましたが、朝倉軍に戻った捕虜の話から、織田軍の強大さと砦の陥落の情報が広まり、朝倉軍の士気が大幅に落ちていました。
 また、朝倉義景は、敢闘精神に乏しいところがあり、戦国大名としての資質を欠いていましたので、家臣の信頼を失いつつありました。前波吉継等、一部の家臣は朝倉義景を見限り、既に織田信長に投降しています(第72話)。
 前線を維持できないと判断した朝倉義景は撤退を決意しますが、織田信長は朝倉撤退を見通していました。昨年の12月にも肝心なところで朝倉軍は撤退していますし(第78話)、優柔不断な性格が読まれていたのでしょう。
 織田信長は、家臣に命令した通り、朝倉軍追撃を開始します!

 しかし、多くの家臣は油断しきっており、信長の本隊に続く家臣はありませんでした...重臣の柴田勝家、佐久間信盛、羽柴秀吉達だけではなく、名軍師とうたわれた竹中半兵衛ですら、朝倉軍撤退の予言を信じておらず、追撃の準備をしていなかったのです...

 信長は立腹しながら、後続を待つことになります。次回、織田信長の怒りが頂点に達します...

第88話 小谷城包囲戦

戦え!官兵衛くん 第88話
 天正元年(1573年)8月8日深夜、浅井方の阿閉氏の内通を受け、織田信長は急きょ三万の軍勢で近江に侵攻します。8月12日、信長は暴風雨に紛れ、浅井の援軍に来た越前朝倉軍の大嶽山の砦を奇襲します。
 突然の作戦だったため、織田信長の近習のみによる攻撃でしたが、奇襲は成功し、朝倉方から多数の捕虜を出します。織田信長は、寛大にも捕虜を許し、すべて釈放しますが、それは信長の計略でした...

 突然の奇襲とはいえ、他の家臣たちが追従しなかったことに信長は不満を覚えていました。翌朝、信長は配下の武将を集め、「今夜、朝倉軍が撤退するので、撤退したら必ず追撃するように」との指示を出します。
 予言のような信長の命令に対し、智将竹中半兵衛も含め、まともに取り合う武将はいませんでした...

軍師官兵衛NHK大河ドラマ・ストーリー 前編

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 アマゾンのレビューでも書いてありましたが、私も片岡鶴太郎さんの小寺政職に期待大です!軍師官兵衛では、小寺政職は若き官兵衛を引き立てる反面、大事なところで罠にはめるという非常に重要な役回りですので、作品の出来のかなりの部分は鶴太郎さんにかかっているといっても過言ではありません(*^_^*)

 ただ、ドラマ・ストーリーでは、小寺政職が「播磨を出たことがない」とか、御着城が「閉鎖的な空間」だとか、エーッ!!!という設定になっているのが気がかりなんですが...
 実際の御着城は山陽道(西国街道)と天川の合流地点という交通の要衝に作られ、堀で囲まれた惣構(住居部分も防御区域に取り込んだ城)の平城なんですね。防備より利便性優先の考え(★)ですが、織田政権内で、同様のコンセプトで作られた羽柴秀吉の長浜城は、御着城よりも後の築城です。
 御着城は、城の敷地のど真ん中を幹線道路が通り、周囲を堀で防備している、結構、先進的な城だったんですよ(戦後すぐに米軍が撮影した航空写真では、まだ、堀や土塁の一部が残っています)。

 ★このため、小寺政職は、織田軍の播磨・但馬侵攻の際は、防御力の劣る平城の御着城ではなく、堅固な山城の置塩城に籠城しています(第23話)。

第87話 信長絶好調

戦え!官兵衛くん 第87話
 将軍足利義昭を追放し、京都に凱旋した織田信長は朝廷へ改元を願い入れ、元号は元亀から天正へと変更されます。

 義弟の畠山昭高が家臣の遊佐信教に殺害されたことを除けば、織田信長は絶好調とも言える快進撃を続けます。
 近江各所を攻撃した後、8月4日に岐阜に帰還しますが、8月8日に近江の浅井氏重臣の阿閉貞征が織田信長に内通してきます。

 次回から、新展開。
 天正元年(1573年)は武田信玄死去、上京焼討、室町幕府滅亡と続いていますが、さらに大事件が続々と発生します。この後も色々と事件が発生しますが、天正元年の最後に、黒田官兵衛達の運命を大きく変える大事件が勃発します。

第86話 幕府滅亡

戦え!官兵衛くん 第86話
 対立を続ける将軍足利義昭と織田信長は、元亀4年(1573年)4月に和睦が成立しましたが(第81話第82話)、和睦成立後も足利義昭は不穏な動きを続けていました。
 これを察知した織田信長は、反信長勢力の強い近江でも迅速に兵員を移動できるよう、近江佐和山で大船の建造を命令します。

 予想通り、7月に足利義昭は槙島城で決起しますが(「槙島城の戦い」)、足利義昭の予想に反して思うように味方が集まらず、信長軍の攻撃により落城してしまいます(3コマ目の船は近江の大船とは別の船です。わかりにくくてすいません(^_^;))。
 将軍足利義昭を降伏させた織田信長は、足利義昭とさこの方(赤松政秀の娘)の間の子の義尋を人質にとり、足利義昭を追放します。将軍追放により、室町幕府は滅亡します。

 この後も、将軍足利義昭は織田信長に対する反抗を強めますが、妻のさこの方がどうなるかというと...常識では考えられないようなことになります(^_^;)
 答えはこちらをクリック⇒第119話
 さこの方と織田信長との関係は播磨の小寺政職、黒田官兵衛達にも少なくない影響を与えることになります。

第85話 印南野合戦

戦え!官兵衛くん 第85話
 元亀4年(1573年)4月、織田信長方の別所軍は中播磨に侵攻し、反信長派の小寺家と赤松本家を攻撃します。別所軍は毎年のように播磨の反信長派を攻撃していますが、今回の侵攻はかなり大規模なもので、戦場も姫路付近から加古川付近にまで及んでいます。
 当時は大寺院であった姫路城の北の増位山も焼討にあい、多くのお堂や建物が焼けてしまいます。

 おそらく、この合戦の際に姫路城の北の勝松神社(姫路市保城)も焼かれています。 
勝松神社 遠景

 当時の建物は焼かれてしまい、現在は説明板に案内を残すのみとなっております(※元亀4年が天正元年です)。弁財天だけ持ち出して避難するような状況だったのでしょうね。
 勝松神社

 この合戦は、主戦場であった印南野(いなみの)の地名をとって印南野合戦と呼ばれています。
 印南野合戦では、黒田官兵衛の家臣の母里太兵衛が大活躍し、初陣を飾ったと伝えられています。
 小説等では黒田官兵衛と家臣の活躍で小寺方が勝利したように書いてありますが、小寺方の被害状況や別所の魚住氏あての感状を見ると、小寺方は非常に多くの損害を受けていたものと考えられます。
 この頃は、姫路が織田信長の勢力と反信長勢力の最前線でした。

 以下、大河ドラマのネタバレ
 ノベライズ本「軍師官兵衛」では、印南野合戦は出てきません。したがって、母里太兵衛の活躍もありません。まさか、大河ドラマでも印南野合戦が出てこないとか(^^;)

第84話 小寺政職②

戦え!官兵衛くん 第84話
 織田信長の勢力が増す中、黒田官兵衛の最初の主君、小寺政職の家中では、重臣の山脇六郎左衛門が織田信長に臣従するよう主張します。
 しかし、織田信長に反抗する小寺政職は官兵衛に山脇の殺害を命じ、山脇を粛清します。

 また、主君の小寺政職が本願寺の門徒(信者)であることから、官兵衛も本願寺門徒の自治都市である英賀とは深い関係にありました。織田信長方の龍野城主赤松政秀と戦った青山合戦でも、英賀衆の援軍により官兵衛は窮地を脱しています(第25話)。

 畿内に隣接する播磨で、強大な織田信長との敵対を続けることは困難です。しかし、本願寺との対立を続ける織田信長と組むことは、英賀衆を初めとする本願寺勢力や本願寺の信者である領民・家臣との関係を壊すことになります...

 小寺家にも選択の刻が迫ろうとしていました。

第83話 小寺政職①

戦え!官兵衛くん 第83話
 官兵衛の主君、小寺政職(まさもと)の祖父、小寺政隆は一向宗を深く信仰し、領内に一向宗の寺を建立しました。後に小寺政職の父の小寺則職が御着城内に移転させます。このため、小寺政職も一向宗を信仰します。

 播磨守護の赤松氏は、かつて一向宗の勢力の強い加賀を領有していたこと(★)や、加賀一向一揆に反対する幕府の意向を汲んだことから、領内で一向宗を禁止していました。
 一方、播磨では、もともとは浄土真宗仏光寺派の勢力が強かったため、本願寺が重点的な布教地域にしていたこと、独立勢力の英賀衆のような海の民のネットワークがあったこと(番外編01)、一向宗の勢力が強い加賀に居住していた武士が多かったことといった事情から、一向宗の勢力が強くなります。
 このため、播磨守護の赤松義村は、1513年に本願寺と和解し、一向宗の禁制を解きます。
 その後、英賀に西方の布教拠点である英賀御坊(英賀本徳寺)が建立されるなど、播磨では本願寺勢力がますます強くなっていきます。

 石山本願寺が織田信長と対決すると、播磨からも多数の信者が石山本願寺に加勢していきます。
 本願寺と信長の対立の激化により、小寺政職も微妙な立場に置かれることになります。

 ★赤松氏は、6代将軍足利義教を暗殺したため、お家取り潰しにされますが、小寺豊職等赤松遺臣が、南朝の残党に奪われた三種の神器を奪回した功績により、まず加賀半国に領地を与えられ、赤松氏が再興されます。
 その後、応仁の乱前後のどさくさで播磨・備前・美作を取り戻します。

第82話 上京焼討②

戦え!官兵衛くん 第82話
 元亀4年(1573年)4月4日、ついに信長は通告通りに上京を焼討します。
 上京は織田軍によって大規模な略奪をされた上で徹底的に破壊され、二条城周辺を残して焼け落ちてしまいます。
 4月7日に帝の仲介で和睦が成立しますが、信玄の病状を知らない足利義昭は信長に対する抗戦を考えていました(武田信玄は4月12日に死去しています)。

 同時期に播磨でも反信長派を追討すべく、信長派の別所長治の軍が中播磨へ侵攻します!
 反信長派側も城の防備を強化する等、緊迫した情勢が続いていたようです。

第81話 上京焼討①

戦え!官兵衛くん 第81話
 武田信玄の病気を知らない足利義昭は、元亀4年(1573年)3月、二条城で挙兵してしまいます。
 織田信長は、和睦の使者を送りますが、足利義昭は和睦を拒否します。

 上洛を決意した織田信長は、3月29日、細川幽斎、荒木村重等の出迎えを受け、京に入ります。
 その頃、京の都は武田信玄の上洛や、織田軍と将軍方の戦いの噂で騒然となっておりました。京の町衆が戦の回避を求めますが、織田信長は拒否し、幕府のある上京の焼討を通告します。

 当時、京都の町衆は、無政府状態が長く続いたため、自警軍(市民軍)を組織していました。自警軍から足利義昭の動員指示に従った者が出たこと、富裕層の多い上京地区では幕府支持者が多かったことから、織田信長は上京地区を敵視していました。
 京都は避難する民衆で溢れ返り、大混乱となります...

第80話 摂津の下剋上

戦え!官兵衛くん 第80話
 今回は織田信長の調略が成功します。元亀4年(1573年)3月11日、高槻城内で和田惟長と高山右近が乱闘となり、双方が重傷となります。和田惟長は死去しますが、高山右近は奇跡的に一命を取り留めます。これをきっかけに高山右近の父の高山友照が高槻城を乗っ取ります。
 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では、生田斗真さんが高山右近役となりましたが、高山右近は傷だらけの設定になると思われます。生田斗真さんが、上半身を脱ぐシーンとかあるかも(#^^#)

 一方、池田城では荒木村重一派が池田知正を追放し、家中を乗っ取ります。
 幕府名門の細川家でも将軍近臣の細川幽斎が織田信長を支持し、細川本家当主の細川昭元(第68話で三好方から将軍=信長派に転向した人。)の支持も取り付けます。この漫画では影が薄い人ですが、名目上の幕府のナンバー2は、細川本家当主の細川昭元ですので、細川昭元が幕府を見離し、織田信長を支持したということは、かなりの影響がありました。

 当初は将軍足利義昭と織田信長は友好関係を保っていたため、将軍=信長派というべき勢力でしたが、将軍派と信長派で割れたため、将軍=信長派内で新たにどっちにつくか踏み絵を踏むことになったという訳です。
 細川幽斎の異母兄の三淵藤英(第16話で足利義昭と播磨の武将の間の取次をやった人)や摂津の三守護の一人の伊丹氏、丹波の宇津氏、内藤氏等は将軍を支持します。
 
 次回、さらに急展開を迎えます。
 この時代の人は大変ですね...

第79話 将軍御謀反

戦え!官兵衛くん 第79話
 武田信玄が病に倒れたことを知らない将軍足利義昭は、織田信長への反抗姿勢を強めます。
 足利義昭は、二条城の防備を固めるとともに、近江に砦を築き、織田軍の入京を阻止しようとします。
 しかし、元亀4年(1573年)2月、柴田勝家率いる織田軍は建築中の砦を攻撃し、石山砦から将軍方の山岡景友を退去させるとともに、今堅田の砦を陥落させます。

 織田軍は、一度、岐阜に帰還しますが、その直後の3月3日、足利義昭は二条城で挙兵し、畿内の将軍方の武将に上洛を支持します。
 しかし、今回は織田方の調略が成功し、形勢は一気に織田信長有利となります。

第78話 和睦申し入れ

戦え!官兵衛くん 第78話
 元亀4年(1573年)は、日本の歴史が大きく動く激動の年になります。
 武田信玄の西上、叔母の裏切り等々、窮地に立たされた織田信長は、将軍足利義昭に和睦を申し入れますが、強気の足利義昭は、申し入れを無視します。

 しかし、昨年に越前の朝倉義景が撤退してしまうなど、織田信長が有利な展開も生まれました。武田信玄は朝倉義景を非難しますが、信玄の肉体は限界に達しようとしていました...

 次回からは、足利義昭と織田信長の対決が始まります。
 対決の余波は播磨にも及び、官兵衛達も戦乱に巻き込まれることになります。

第77話 三方ヶ原の戦い②

戦え!官兵衛くん 第77話
 浜松城を出た徳川家康は武田軍を追撃、三方ヶ原台地を下りようとする武田軍を後方から攻撃しようとしますが...
 追撃を予測していた武田軍に察知され、反撃されてしまいます...
 徳川・織田連合軍は敗北し、徳川家康は命からがら浜松城へ撤退します。
 軍記物などでは、武田軍が魚鱗の陣形、徳川・織田連合軍が鶴翼の陣形をとって戦ったとされていますが、戦い自体は2時間ほどで終わっていますので、徳川・織田連合軍には陣を形成するような時間的余裕は無かったと思われます。

 次回からは元亀4年(1573年)となります。日本が大きく変わる激動の年となり、小寺政職・小寺(黒田)官兵衛主従にも大きな試練が待ち構えています。
 ノベライズ本を読む限り、大河ドラマでは簡単に流されてしまうみたいなんですが(^^;)

 

とうふのかんべえくん

とうふのかんべえくん
 姫路市の公式ゆるキャラ「かんべえくん」をモチーフにした、とうふのかんべえくんという豆腐がケーエスフーズさんから販売されていたので、買ってみました。ちょっと固めの絹ごし豆腐だそうです。ケーエスフーズさんの地元の白浜町は、灘のけんか祭りで有名な松原八幡宮があり、隣の妻鹿の領主だった黒田官兵衛とも非常に縁が深い地域ですね。

 先日、小寺豆腐の倒産の記事を書きましたが、小寺豆腐には対抗商品の「とうふのとうべえくん」を出してほしかったです...小寺豆腐の地元の山崎も官兵衛が領主だったこともあり、黒田官兵衛と縁の深い地域だったのですが...

第76話 三方ヶ原の戦い①

戦え!官兵衛くん 第76話
 元亀3年(1572年)10月、武田信玄は、3万の軍を三つに分け、遠江、三河、美濃へ侵攻します。
 徳川方の城を次々と落とした武田軍は、12月19日には遠江北部の二俣城を開城させます。
 
 一方、織田信長は徳川の危機に対して、佐久間信盛率いる3000の援軍しか派遣しませんでした。
 浜松城の家康の目の前を、ゆうゆうと武田本隊2万5000が西へ進軍していきます。

 浜松城籠城の声も上がる中、武田軍の進軍を見た徳川家康は、武田軍追撃を支持します。
 目の前を敵が進軍しているにも関わらず、黙ってみていることは、戦国大名としての存在が否定されかねないためです。
 次回は、徳川・織田連合軍と武田軍の決戦になります。
 
プロフィール

kurokanproject

Author:kurokanproject
NHK大河ドラマ軍師官兵衛の主人公黒田官兵衛を紹介するマンガを描いています。
織田信長や羽柴秀吉といった歴史上の大人物、黒田官兵衛、小寺政職、赤松政秀、別所重宗といった播磨の武将達や、浦上宗景、宇喜多直家、荒木村重、松永弾正といった一癖も二癖もある連中が活躍します。

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ぜひ、第0話から読んでみてください(*^_^*)

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