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第67話 山名祐豊の野望

戦え!官兵衛くん 第67話
 但馬守護の山名祐豊は、木下藤吉郎の播磨・但馬攻略により但馬を追われますが(第22話)、堺衆の今井宗久の口添えで、信長に多額の金銭を支払って赦免されます(第33話)。
 但馬に復帰した山名祐豊は、信長に上納金を支払うことを条件に生野銀山の管理をまかされますが(実際の鉱山の経営は今井宗久がやっています)、不在の間に家臣の太田垣氏に生野銀山を横領されるなど、家臣への統率力を欠くような有様でした。
 生野は、もともと太田垣氏の領地だったのが、銀山発見と共に守護の山名祐豊が取り上げてしまったようで、太田垣氏との間に、度々トラブルが発生しています。
 生野銀山は播磨・但馬侵攻時点では、太田垣氏が取り戻していたのを、侵攻のどさくさに紛れて、信長の力をバックに山名祐豊が手に入れたという資料もありましたが、実際にそのような状況であれば、山名祐豊は侵略を逆利用して利権を手に入れたということになります(本当だったら、かなりの謀将ですね)。

 但馬に復帰した山名祐豊は、丹波攻略に乗り出します。この時点では、丹波の赤井直正が上洛して、信長(正確には信長=義昭)に臣従する等(第32話)、丹波も親信長勢だったのですが...

 丹波に侵攻した山名軍は「丹波の赤鬼」こと赤井悪右衛門直正等の反撃にあい、撃退されてしまいます。赤井直正を相手にするのは、山名祐豊にはちょっと荷が重かったようです...

 現在ではあまり名前が出てきませんが、赤井直正は兵庫県最強の武将といって良い戦国武将です。おそらく、小寺政職、黒田官兵衛、荒木村重、浦上宗景、安宅信康等、兵庫県に関係する武将に尋ねてみると、全員が「兵庫県最強は赤井直正!」と答えると思われます。それ以前に「兵庫県って何?」という回答が返ってくるでしょうが(^^;)
 赤井直正は、昭和のプロレスで例えると、大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントみたいな人です。プロレス界では、アンドレ最強が暗黙の了解となっており、「あのアンドレをフォールの体勢に持って行った!(フォールしたではない)」とか、「あのアンドレの足を骨折させた!」といったうたい文句が、プロレスラーの勲章になったような関係に近いと思います。
 戦国時代でいうと、「あの赤井直正を苦境に追い込んだ!」とか「あの赤井直正から〇〇を貰った!」といったうたい文句が、武将の勲章になります。
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第66話 別所の侵攻

戦え!官兵衛くん 第66話
 元亀2(1571)年10月、摂津の混乱が一段落すると、東播磨の別所氏は、西播磨の反信長勢力を攻撃します。このとき、備前から西播磨一帯を領有する浦上宗景は、西の大国毛利氏と敵対関係にあったため、東方面で大規模な軍事活動を行うのが困難な状況にありました(詳しくは第52話から)。
 
 西播磨に侵攻した別所軍は、置塩城周辺でも姫路周辺でも小寺(黒田)官兵衛の反撃により撃退されたとされています。ちなみに、曽根天満宮(高砂市)に別所重宗の禁制(軍に略奪や乱暴をしないように保証した命令書)が残されています。

 久々に主人公が登場したのに、あっさりとした記事になったのは、資料が断片的にしか残っていないためです。ドラマや小説だったら、かなり派手な戦闘場面を創作できるのですが、この漫画は史実優先方針ですので(^^;)

 次回は但馬・丹波の抗争の話になります。一見、官兵衛と関係があるような話に見えませんし、単なる地方の勢力争いのようにも思えますが、後で重要な影響を及ぼします。
 伏線を張ってばかりですが、きちんと回収するのでご容赦ください(^^;)

第65話 高槻城包囲戦②

戦え!官兵衛くん 第65話
 高槻城は、荒木村重(池田氏)、篠原長房(三好氏)、松永弾正等の反信長連合軍によって包囲され、落城の危機に見舞われます。高槻城は、城主和田惟政は戦死し(第62話)、惟政の遺児の和田惟長を重臣の高山友照・高山右近父子が何とか支えているような状況でした。

 織田信長は、腹心の明智光秀を高槻に派遣し、和睦に当たらせます。比叡山を焼討した信長の勢いに押されたのか反信長連合軍は和睦し、高槻城の包囲を解きます。
 
 これで、摂津の危機は一先ず小休止となりました(まだまだ摂津の混乱は続きます)。状況を見守っていた東播磨の別所氏は、播磨の反信長派を叩くため、西播磨へ出陣します!
 次回、ようやく官兵衛が登場します。本当に「戦え!信長くん。」にタイトルを変えた方が良いような展開ですね(^^;)

第64話 比叡山焼討

戦え!官兵衛くん 第64話
 織田信長は、摂津の混乱をよそ目に着々とかねてからの計画を実行に移します。
 信長は、志賀の陣の際(第44話)に浅井・朝倉軍に協力した比叡山に敵対を止めるように要請していましたが、無視されていたため、9月12日に比叡山を焼討します。
 信長の焼討により、多くの寺宝が焼け、聖俗男女、数千人が死亡したと伝わります。

 次回、高槻城包囲戦は急展開を見せます。 

外伝 宇喜多直家物語③

宇喜多直家物語③
 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の宇喜多直家役に陣内孝則さんが決まったことを記念する外伝宇喜多直家物語の第3話です。
 元服した宇喜多直家は、浦上宗景に奉公する母親のつてで浦上宗景に仕えます。

 ここで、話を宇喜多直家出生の少し前に戻します。
 浦上家は赤松家中の獅子身中の虫と言っても過言ではない存在でした。安芸の毛利元就が、専横をふるう家臣の井上元兼(大河ドラマ「毛利元就」では、片岡鶴太郎さんが演じていました)を粛清する際に、「赤松家中の浦上」みたいな奴だと例に挙げて罵倒したくらいです(^^;)

 浦上政宗・宗景兄弟の父親の浦上村宗は、専横をふるったため赤松当主の赤松義村に追討されますが、名将宇喜多能家(直家の祖父)等の活躍により、逆に赤松義村の軍勢を破り、赤松義村を強制的に隠居に追い込みます。浦上村宗は、義村の子の赤松晴政(序盤の人間関係を見てください。サムネイルをクリック。)を傀儡として、播磨・備前・美作の支配を行います。
 浦上村宗は、管領細川高国と協力し、将軍足利義晴(亀王丸、13代将軍足利義輝・15代将軍足利義昭兄弟の父親)を12代将軍に擁立します。そして、浦上村宗は、足利義晴の将軍就任直前に室津城に幽閉した主君赤松義村を殺害してしまいます(★)。

 その後、小寺・別所氏等を屈服させ、播磨・備前・美作三国を統一した浦上村宗は、管領細川高国の求めに応じて、大軍を率いて上洛、近江に追われていた将軍足利義晴を京都に復帰させ、天下の覇権を握ろうとしますが...
 続きは外伝第4回になります。

 ★40年後、赤松晴政は、娘婿の龍野城主赤松政秀に室津城を襲撃させ、浦上政宗父子と官兵衛の妹(NHK大河ドラマでは、初恋の人おたつとして、南沢奈央さんが演じます)を殺害します(第3話)。

第63話 高槻城包囲戦①

戦え!官兵衛くん 第63話
 松永弾正は、大和の覇権をめぐって筒井順慶と争いますが、敗北してしまいます。
 松永弾正が劣勢になった原因の一つとして、信長の軍役が重過ぎ、本国大和が手薄になってしまったことが挙げられます。
 松永弾正は、織田信長への反発を強め、甲斐の武田信玄と連絡を取り合うなど、反信長色を強めていきます。

 この時代、兵農分離の途上時期であったので、軍役の負担が重いと領民・地侍からの反発が非常に大きくなってしまいます。織田信長の軍勢は兵農分離がなされていたため、農繁期にも出陣できたので天下統一が可能となったというデマがよく流されていますが、少なくとも松永弾正とか荒木村重とか、別所氏といった外様連中は、従来の戦国大名の軍制と大差がありません。この後も信長のために、ガンガン出陣させられます(^^;)

第62話 白井河原の戦い②

戦え!官兵衛くん 第62話
 中川瀬兵衛清秀は、後に羽柴秀吉の無二の親友となります。
 もっとも、羽柴秀吉が天下取りを目指すに至ると、二人の関係は少しギクシャクしてきます。友人が権勢をふるうようになったからといって媚を売らないのが中川清秀の良いところ(?)ですね。
 後年の明智光秀討伐の際も、秀吉から人質を要求されて、「俺がお前を裏切ると思うのか!」と激高し、慌てた秀吉が「瀬兵衛が裏切るはずはない。人質を出す気持ちだけで結構。」と人質を返したとも伝えられています。

 直情型の中川清秀は、謀将とは程遠いタイプですが、天然の謀略家と言っても良い人で、善意から多くの人を罠(?)にはめ、出世を重ねていくことになります。黒田官兵衛孝高もその被害を被ることになります。
 白井河原の戦いは、中川清秀等の活躍で、和田惟政は討ち取られ、池田方(荒木村重方)が勝利します。

 勝利の余勢をかって、荒木村重軍は和田氏の高槻城を包囲します。高槻城包囲軍には、三好方の名将篠原長房や織田傘下のはずの松永弾正も加わります。高槻と京都とは20kmほどしか離れていませんし、京都の南西側(摂津・播磨方面)をふさぐ位置にありますので、高槻が反信長方の手に落ちると、近江で浅井勢と対陣中の織田信長は非常に危険な事態に陥ってしまいます。

 ところで、三好方の名将篠原長房の移動距離は陸の武将の常識では考えられませんね。志賀の陣の際は西宮に出撃し(第43話)、その後、岡山の児島で戦ったと思えば(第56話)、今度は高槻です。水軍の機動力を存分に生かして、三好家のために奮戦しますが...後に篠原長房は不幸な最後を遂げることになります。

外伝 宇喜多直家物語②

宇喜多直家物語②
 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の宇喜多直家役に陣内孝則さんが決まったことを記念する外伝宇喜多直家物語の第2話です。

 天文3年(1534年)、浦上氏重臣の名将宇喜多能家(よしいえ)は、居城の砥石城を島村盛実に襲撃され、子の興家・孫の直家等を逃すことには成功したものの、殺害されてしまいます(外伝第1話)。
 宇喜多興家は6歳の直家を連れて、備前福岡の町に流れ着き、商人阿部善定の下で生活を始めますが、数年後に病死してしまいます。

 宇喜多興家は、非常に暗愚な人物だったと言われていますが、子の宇喜多直家も愚かな少年に育ち、周囲からの嘲りを受けます。浦上宗景の家中で奉公に上がっていた(真偽不明)とされる直家の母親は、直家と宇喜多家の将来を心配しますが、「愚かな少年」というのは直家の演技でした。宇喜多直家は、敵に命を狙われないように、わざと愚かなふりをしていただけだったのです...

 宇喜多直家のエピソードは面白半分にかかれている物が多く、あまりあてになりません(^^;)。直家の母親についても、浦上宗景の愛人であった等と書かれている本もあります。しかし、浦上宗景は宇喜多直家と少し年上なだけか同じ年齢くらいだと思われますので、浦上宗景が相当な年上好きでないと、浦上宗景が直家の母親と関係を持つということは考え難いのですが...

 なお、キャラ作りの手間を省くために、宇喜多直家の母親役は「赤松さこ(さこの方)」の絵になっています。キャラの使い回し、もとい「スターシステム」を日本の漫画に取り入れたのは手塚治虫先生ですが、手塚先生は天才です!こまかいキャラまで考えなくて済むので、非常に時間が短縮できます(^^;)


 

第61話 白井河原の戦い①

戦え!官兵衛くん 第61話
 イケイケの三好方の反抗に呼応して、反信長陣営(この当時)の池田重臣の荒木村重は、信長=将軍派の高槻城主和田惟政を奇襲します。
 和田惟政は、家臣(というより部下に近いかも)で義父の高山友照と息子の高山右近に救援を頼みますが、味方の数が少ないために援軍を断られてしまいます。

 和田惟政は、もとは甲賀の出身で、将軍足利義昭が流浪中に援助した功績から、池田勝正、伊丹親興とともに摂津三守護の一人に任ぜられます。つまり、将軍御指名の落下傘守護という訳で、高山友照・右近親子を初めとする摂津の豪族とは微妙な関係にあったのかもしれません。
 和田惟政は、少ない兵力にもかかわらず、荒木村重の軍勢と決戦を挑みます。白井河原の合戦は、諸説あり、和田惟政が部下の静止を聞かずに突撃したとか、あるいは和田惟政自身が、小人数で偵察にいった際に中川清秀に殺害されたとか、いろんな話が伝えられているようです。何が正しいのかよくわらかないので、戦闘経過は省略します(^^;)

 白井河原の戦いでは、池田家臣の中川清秀という武将が活躍します。マンガ「へうげもの」でおなじみの古田織部や高山右近とは親族関係のある武将で、羽柴秀吉や黒田官兵衛とも深い縁でつながる武将です。

がんばれ! てるひめちゃん

光姫
 この土日は、姫路の大手前公園で「おでん&地酒サミット」が開催され、多くの人が訪れていました。
 加古川市のゆるキャラで黒田官兵衛の妻、光姫(てるひめ:加古川出身。大河ドラマでは中谷美紀さんが演じます。)のイメージキャラクターの「てるひめちゃん」も来場していました。
 しかし、会場では、「あの女の子のキャラは、誰?」の声もちらほら...
 ブログ「戦え!官兵衛くん。」は、黒田官兵衛のゆるキャラ「かんべえくん」に比べて、イマイチ知名度が低い「てるひめちゃん」を応援します!
 
 あと、加古川名物のカツメシも(*^-^*)
 個人的な一押しは、室津の焼きガキでしたが。

第60話 畿内の異変

戦え!官兵衛くん 第60話
 元亀2年(1571年)8月、織田信長は、敵対する妹婿の浅井長政攻略のため近江に侵攻します。

 一方、織田信長と対立する三好三人衆は、摂津での調略を強めます。
 信長派であった摂津の池田家中を調略し、池田の一門衆と池田重臣の荒木村重等に摂津守護池田勝正を追放させます(第37話)。
 摂津は、大坂周辺は本願寺の支配下にありますので、池田氏が反信長方に転じたことで、摂津のかなり地域が反信長方の勢力に入ってしまいます。これで、高槻の和田惟政、伊丹の伊丹親興等の摂津の信長派(正確に言うと「信長=将軍派」、黄色の勢力です)や播磨の信長派の別所氏は、反信長派の勢力(紫色の勢力です)によって分断されてしまいます。

 反信長派となった池田氏は、信長派の高槻城主和田惟政と対立することになります。京都と目と鼻の先の高槻が反信長派に奪われると、信長は京都の維持が困難になるという危険な状況になってしまいます...
 

外伝 宇喜多直家物語①

宇喜多直家物語①
 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の宇喜多直家役に陣内孝則さんが決まったことを記念して、宇喜多直家物語を書いてみました。主人公黒田官兵衛役の岡田准一さん、小寺政職役の片岡鶴太郎さん、小早川隆景役の鶴見辰吾さんといい役者さんが揃いましたね!

 第1話は、過去に書いた漫画のカット&ペーストが大半なため、時間をかけずに完成できましたが、第2話以降、新作部分が多くなるので不定期連載にさせていただきます(^^;)

第59話 第一次長島攻略

戦え!官兵衛くん 第59話
 元亀2年(1571年)5月12日、織田信長は伊勢長島の一向一揆攻略のため出陣します。
 前年の11月に長島一向一揆の奇襲により、弟信興が殺害されました(第50話)。本拠地近くに敵の拠点が誕生するという事態となったのですが、四方を敵に囲まれた織田信長は、浅井・朝倉勢との対決を優先し、長島一向一揆攻略は先送りします。
 浅井・朝倉勢と和解し(第51話)、近江の戦線も織田方が優勢な状況となったので、いよいよ懸案の長島一向一揆攻略に臨んだということです。

 織田信長は、5万の大軍を津島に集結させ、三方から長島を攻略しますが、一向一揆勢の奇襲を受け、大惨敗してしまいます...
 民衆の間にも、法華宗の信者を中心に一向衆と対立する勢力が大勢いました(法華宗と一向宗の対立の詳しい事情はこちらをお読みください)。また、織田信長の家臣(こちらをお読みください)・領民にも一向宗の信者がおり、一向一揆に加わっていない信者もかなりいました。信長領内には、一揆に参加しないことを条件に信仰と安全を保障された一向宗の寺もありました。
 これら信長の支持者や中立の立場をとる人々の目の前で、一向一揆に敗北してしまったのですから、信長は非常に困った立場に追い込まれることになります。

 次回からは摂津編です。反信長勢の策略がさく裂し、摂津は大変な事態になります。小寺(黒田)官兵衛や別所氏等、播磨の武将たちにも摂津の異変が波及し、播磨でも戦いが勃発します。

第58話 磯野員昌の投降

戦え!官兵衛くん 第58話
 北近江の浅井長政を攻略すべく、木下藤吉郎秀吉は横山城を拠点に浅井方の調略を行います。
 木下藤吉郎が横山城を任された経緯はこちらをお読みください(第39話)。

 木下藤吉郎は、浅井方の勇将磯野員昌(いそのかずまさ)が、織田信長に内通したというデマを流します。木下藤吉郎の謀略に引っかかった浅井長政は、磯野員昌の守る佐和山城への兵糧の補給をストップしてしまいます。
 このため、元亀2年(1571年)2月に磯野員昌は織田方に投降し、浅井方に動揺が走ります。

 同年5月には、浅井長政自らが兵を率い、横山城を攻撃しますが、これは浅井方の策略でした。浅井長政自らがおとりなって、織田軍を引きつけ、その隙に浅井軍の別働隊が織田方の鎌刃城を攻撃する作戦でした。
 しかし、木下藤吉郎、竹中半兵衛等に策を見破られ、浅井軍は撃退されてしまいます。

 次回に織田信長の第一次長島一向一揆攻めを描いた後、次々回から摂津編に入ります。

NHK大河ドラマ 軍師官兵衛 ~小早川隆景、宇喜多直家等のキャストが決まる~

NHK大河ドラマ軍師官兵衛の人物相関図が掲載されていました。
NHK大河ドラマ軍師官兵衛人物相関図

 小早川隆景役は鶴見辰吾さん,宇喜多直家役は陣内孝則さんに決まりました。
 陣内さんは「毛利元就」での陶晴賢役がはまり役でした。謀略家宇喜多直家の悪の魅力を引き出してもらえそうですね。
 個人的には、宇喜多直家役は、顔が似ているキンタロー。さんがお勧めでしたが(^^;)
 (画像の比較)キンタロー。    宇喜多直家 
 なお、NHKのHPでは、蜂須賀小六が秀吉の家臣となっていますが、この時点では、蜂須賀小六も竹中半兵衛も信長の家臣であって、秀吉とは上司と部下の関係になります。近代的な関係に進化しつつある時代なんですよ。

 宇喜多直家を主人公にした外伝を始めました。
 クリック⇒ 外伝 宇喜多直家物語
 ぜひ、お読みください(*^-^*)

第57話 毛利元就死去

戦え!官兵衛くん 第57話
 児島での毛利軍敗北の報を受け、毛利元就は最後の力を振り絞り、将軍足利義昭への書面をしたためます。
 内容は、浦上・三好との和睦を求めるものでした。

 しかし、三好氏は将軍足利義昭にとって兄の足利義輝を殺害し(第7話)、自分をも殺害しようとした(第19話)宿敵でした。また、三好氏は本国阿波で14代将軍足利義栄の弟、義助(よしすけ)を保護していたため、将軍足利義昭に代わる将軍を立てることも可能でした。
 この時点では、三好氏は将軍足利義昭にとって妥協することのできない存在だったのです。
 織田信長にとっても、畿内・西国で反攻を強める三好氏の勢力を抑える必要があり、毛利と三好との和睦を図ることはできませんでした。
 足利義昭と織田信長の仲は悪化していきますが、三好氏の存在が二人の関係を繋ぎとめるという皮肉な結果になっており、この時点では決定的に敵対するまでには至っていません。この後も三好三人衆の謀略により、信長は不利な状況に陥っていきます(三好三人衆の謀略は、播磨の官兵衛にも大きな影響を及ぼします)。
 毛利元就の和睦要請は、幕府に拒否されてしまいます。

 元亀2年(1571年)6月に毛利元就が死去したことにより、毛利軍は安芸に撤退し、浦上・宇喜多・村上・三好連合軍が勝利します。

 次回から信長サイドに話が移ります。
 

第56話 児島攻略戦③

戦え!官兵衛くん 第56話
 元亀2年(1571年)5月、本太城(もとぶとじょう、倉敷市)の攻略を終えた毛利軍は、児島への侵攻を開始します。
 しかし、それは謀将浦上宗景の罠でした。わざと要衝である児島の守備を緩め、毛利軍を児島に誘い込んだ後、奇襲攻撃を仕掛けようという作戦でした。まさに、毛利元就が陶軍を厳島に誘い込んで奇襲し、陶晴賢に勝利した厳島合戦と同じ構図の作戦になります。
 毛利元就は、自分の過去の計略を浦上宗景に逆利用されてしまうことになります。

 浦上軍は、海路、児島に上陸し、毛利軍の背後から奇襲をかけます。また、海上は名将篠原長房率いる三好・村上連合水軍が毛利軍を包囲し、海からも毛利軍を攻撃します。
 逃げ場のない半島で海陸からの攻撃を受けた毛利軍は大損害を被り、浦上・宇喜多・三好・村上連合軍に敗北します。

 その頃、毛利元就は重体となっておりましたが、病をおして、人生最後の仕事に取りかかります...
 次回、児島編の最終回です。

第55話 児島攻略戦②

戦え!官兵衛くん 第55話
 毛利軍指揮官の智将小早川隆景は、交通の要衝の児島攻略を指示します。
 しかし、密かに大友宗麟率いる毛利包囲網に加わっていた村上武吉率いる能島村上水軍は(第52話)、元亀2年(1571年)2月、児島半島の付け根にある本太城(もとぶとじょう、倉敷市)で蜂起し、毛利からの離脱を宣言します。

 瀬戸内各地に散らばった能島村上水軍を警戒するため、毛利方の水軍は児島攻略戦に本腰を入れて参加できなくなってしまいます。
 また、昨年から攻撃を受けていた毛利方の石川氏の幸山城(こうざんじょう、総社市)は(第49話)、浦上・宇喜多方の尼子遺臣等の攻撃により落城してしまいます。
 毛利方に不利な出来事が続きましたが、本太城が落城したこと、浦上・宇喜多方の児島の防備が手薄になっていたことから、予定通り、児島攻略が実行されます。

 しかし、これは謀将浦上宗景の罠でした...

番外編04 三好氏家系図

戦え!官兵衛くん 番外編 三好家系図
 三好氏の家系図を説明します。
 三好之長(1458-1520)は細川家の重臣でありながら裏では盗賊の親玉をやっていたような怪人物です。三好三人衆の三好長逸・政康や三好一門の長老格の三好康長は、之長の孫の世代にあたります。

 三好長慶の父親の三好元長(1501-1531)は、大物崩れに勝利し、細川高国と浦上村宗(浦上宗景の父)を破った後、主君細川晴元の裏切りにより、一向一揆に襲われ、死亡します。
 三好元長は、法華宗の信者代表のような人物でしたので、今度は法華宗の信者が一揆を起こし、一向一揆と戦い、勝利します。法華一揆と六角氏等の連合軍により、一向宗の本山の山科本願寺は焼討されてしまいます(このため大坂の石山本願寺が本山になります)。
 民衆同士が殺戮を繰り返す事態になった後、力をつけた法華宗の信者たちが幕府・朝廷に過剰な要求を行うようになったため、今度は比叡山により法華宗の信者が攻撃され、京都から法華宗が追放される事態となります。

 三好元長の子、三好長慶は混乱した情勢を鎮め、天下人となりますが、嫡男が死んだこと、松永弾正の姦計にはまって弟の安宅冬康を殺害してしまったこと等から、精神の平衡を欠き、若くして死亡してしまいます。三好長慶の弟達も若くして死に、その子の世代が若かったため、三好三人衆が三好氏を牛耳ることになります。

 三好氏は、後で黒田官兵衛と深くかかわってきますので、話の展開に合わせて、おいおいご説明してゆく予定です。

番外編04 三好三人衆と三好義継、三好長治

戦え!官兵衛くん 番外編04 三好三人衆
 織田信長を主人公にした小説やドラマでは、必ずと言っていいほど、「三好三人衆」という人たちが序盤の敵役で登場します。
 三好三人衆は、一括りで扱われてしまう場合が多いですが、三好一門の三好長逸(ながやす)、三好政康と三好家臣の岩成友通の三人のことです。
 三好氏は、阿波出身の戦国大名で、幕府管領の細川氏の家臣の出身です。細川氏のお家争いに乗じて実権を握り、やがて細川氏をしのぐ実力をつけます。

 三好氏当主で天下人であった三好長慶は早逝してしまいますが(第10話)、長慶の兄弟も早く亡くなっていたことから、三好三人衆が三好家の実権を握ることになります。

 一方、三好氏当主、三好義継は専横をふるう三好三人衆に反対して、松永弾正とともに信長方につきます。
 この時点で、三好氏は当主と三好三人衆の間で分裂してしまったということですね。

 阿波三好家(分家と言っても三好氏の本国は阿波です)の当主の三好長治が、三好本家の当主の三好義継と対抗する立場になるべき存在でしたが、三好長治は戦国最凶といっても過言ではない無茶苦茶な人物でした...

 今は、三好氏は名将篠原長房等の活躍もあり、信長を追い詰めていますが、信長の反撃と三好内部の分裂により、急速に衰退してゆくことになります。
 

第54話 児島攻略戦①

戦え!官兵衛くん 第54話
元亀2年(1571年)2月、毛利先発軍は、庄勝資が不在の隙に、備中松山城を攻撃し、備中松山城を取り戻します。
 勢いに乗った毛利先発軍は、佐井田城(岡山県真庭市)を攻撃しますが、庄軍の反撃を受け、敗退してしまいます。

 一方、智将小早川隆景は、交通の要衝である児島半島を攻撃すべく部隊を派遣します。
 児島は、瀬戸内海に突き出た半島で(当時は島だったという説もあります)、重要な航路となっていました。このため、源平時代にも戦いの舞台となった土地です。
 交通の要衝を抑えて圧力をかけるだけではなく、岡山方面へ進軍した場合に海からの攻撃を避けるためにも、児島は重量な戦略目標でした。

 なお、児島一帯は古くから干拓が始まった後、江戸から明治、昭和にかけて大規模な干拓が進んでいきます。当時の地形がよくわからないので、江戸時代の地図をもとに書いていますが、当時は全く異なった地形である可能性が高いことをご了承ください。おそらく、戦国時代には、この漫画の地図のような、きれいな半島になっていない可能性が高いでしょう。
 現在では、児島湾の大半が埋め立てられていますので、さらに地形が変わっています。

番外編03 「鬼吉川」 ~吉川元春役には吉川晃司氏を推薦!~

戦え!官兵衛くん 番外編03
 大河ドラマ「軍師官兵衛」の配役も少しずつ決まってきましたね。黒田官兵衛の家臣は、速水もこみちさんが母里太兵衛役に決まるなど、イケメン揃いですね(※ネタが古いのは、かなり前に漫画を書いているためです。また、赤松政秀の横に新と書いてあるのは、同じ名前の人が二人いるからです)。
 個人的には、吉川元春役には、三代目鬼吉川の吉川晃司さんを推薦します(ご子孫だそうです)!

 吉川氏は姫路の福井荘(網干から大津にかけての地域)にも領地を持っていました。播磨に但馬の山名軍が侵攻してきた折に、初代鬼吉川の吉川経基が援軍を派遣し、福井荘の領民や守護赤松政則・赤松政秀(旧)・小寺藤兵衛・浦上則宗等播磨の武将と協力して山名軍を撃退する等、吉川氏は姫路にも強い縁があります。
 
 なお、吉川氏の姫路の領地は、戦国の混乱で吉川氏の下から失われてしまい、紆余曲折を経て、黒田官兵衛が福井荘を領有します(^^;)

第53話 松山城奪還

戦え!官兵衛くん 第53話
 備中の名門、庄氏は三村氏の台頭によりお家乗っ取りの憂き目にあっていました。
 三村氏の先代、三村家親は長男(庄元資)に庄氏の跡目を継がせ、乗っ取りを図ります。
 しかし、三村家親は宇喜多直家によって暗殺され、弔い合戦でも三村元親が宇喜多直家に敗北する(第14話)等、三村氏の勢いが弱まる事態が発生します。
 庄氏の一族、庄勝資は、三村氏の宿敵宇喜多直家に接近し、かつての庄氏の居城、備中松山城を乗っ取ってしまいます。
 元亀2年(1571年)1月、智将小早川隆景率いる毛利軍が浦上・宇喜多他の反毛利勢を叩くため備中・備前に侵攻します。三村元親は反毛利方の庄氏を倒し、備中松山城を奪還すべく奮闘します。

 ところで、毛利元就には、長男隆元(1563年に早逝し、孫の輝元が跡目を継ぐ)、次男吉川元春、三男小早川隆景の他にも多くの息子がおり、毛利元清は毛利元就の四男になります。
 毛利元就は、「兄弟で団結すべし」との「三本の矢」の逸話で有名ですが、彼は数に入っていなかったのでしょうか(^^;)
 

第52話 村上武吉

戦え!官兵衛くん 第52話
 織田信長最悪の年となった元亀元年も終わり、元亀2年が始まりました。

 毛利氏の傘下にあった村上武吉率いる能島水軍は、毛利氏からの離脱を図り、密かに大友宗麟率いる毛利包囲網に加わります。
 能島水軍の根拠地の能島は、3コマ目の「←ココ」と書かれた横の点のような小さな島(周囲720メートルほどだそうです)です。島が連なって通行税が取りやすいような場所にあります。

 能島水軍は、同じく(現時点では)毛利氏に反抗する浦上宗景・宇喜多直家、阿波の三好氏とも連合して、毛利氏との対決に挑みます。

元亀2年の赤松家臣団関係図

戦え!官兵衛くん 人物関係図 その2
元亀元年の人物関係図をアップします。前の記事のリンクが調子が悪いので、再掲します。

 赤松政秀が暗殺され、播磨の親織田派は別所氏くらいになってきたので、序盤(序盤の赤松家臣団関係図)に比べると、かなりすっきりしてきましたね。

 この後、足利義昭と織田信長の対立が深まり、混乱が続くことになります。

第51話 浅井・朝倉との和睦

戦え!官兵衛くん 第51話
 織田信長は、浅井・朝倉軍と近江で対陣していましたが、長島で一向一揆が勃発する等、非常に不利な状況に追い込まれます。
 びわ湖の堅田衆が分裂し、内通者が出たため、信長は反撃に出ますが、朝倉軍や一向一揆勢に撃破されてしまいます。

 泥沼の状況に追い込まれた信長は、帝や将軍足利義昭に調停を依頼します。
 雪で本国越前との連絡が途絶えることを恐れた朝倉軍との間に和睦が成立し、信長は当面の危機を乗り切ることに成功します。
 苦境に陥っていた信長は、ひたすら低姿勢を貫き、朝倉方に「天下の事はあきらめる」とまで、言ったとも伝えられています(但し信ぴょう性に疑問あり)。

 同じ頃、播磨では浦上宗景によって龍野城主赤松政秀が毒殺されてしまいます。赤松政秀は浦上宗景に降伏した後(第31話)、龍野赤松家の領地は浦上宗景に浸食されていったようですが、浦上宗景に抵抗したため、殺害されたのではないでしょうか。
 これにより、龍野赤松家は没落し、浦上宗景が旧龍野赤松家の領域を支配していったようです(★)。

 浦上宗景が赤松政秀を殺害したということは、将軍側室の「さこの方(さごの方)」の父親を殺害したということになります。足利将軍家にも喧嘩を売ることになりますので、浦上宗景は、なかなか良い根性をしていますね(^^;)
 次回は、浦上宗景・宇喜多直家が毛利軍と激突します。稀代の謀将、毛利元就の最後の大勝負となります。

 ★当時の龍野赤松領については不明な点も多いのですが、赤松政秀殺害直後(元亀2(1571)年6月)の龍野赤松領の室津と浦上領の相生の境界争いの記録が残っており、その内容から龍野赤松家が浦上の支配下にあったと考えられています。
 ちなみに、境界争いは、領民の山林や漁業の権利にも深く絡んできますので、戦国時代では領主が強いということは、領民にも絶大なメリットがあったということですね(^^;)

第50話 長島一向一揆

戦え!官兵衛くん第50話
 織田信長は、比叡山に籠った浅井・朝倉軍と浅井氏の小谷城を包囲しますが、長期の対陣を余儀なくされます(第44話)。
 浦上宗景、小寺政職、小寺(黒田)官兵衛等の三木城攻撃(第46話)は、信長が近江での対応に追われている隙を狙った攻撃です。

 反信長勢力は信長本拠地近くでさらなる攻撃に出ます。
 岐阜・三重・愛知の境を流れる木曾川・長良川・揖斐川河口の長島の周辺地域は、洪水を防ぐために集落の周囲をぐるりと堤防で囲んでいました(輪中)。このため地域の結束が高く、一向宗が盛んな土地であったこともあり、領主の支配が及ばない自治地域となっていました。

 元亀元年(1570年)11月、長島周辺の本願寺門徒は、石山本願寺の指令により蜂起し、織田方に奇襲をかけます。織田方は信長の弟、織田信興が守る古木江城を包囲しますが、信長は近江で手一杯だったため、援軍を送ることはできず、信興は戦死し、伊勢の滝川一益も敗走します。

 信長は、近江で身動きが取れない中で、本拠地の岐阜のすぐ近くに、敵方の拠点が誕生するという危機的な状況に陥ります。
 またもや最大の危機の一つに陥った訳ですが、次回、信長は奇策に出ます。

第49話 西部戦線異状あり②

戦え!官兵衛くん第49話
 元亀元年(1570年)8月に、浦上宗景、宇喜多直家等は、備前・備中の毛利領(親毛利勢)に攻撃を仕掛けます。
 その頃、毛利元就の病状が悪化したため、毛利軍の主力は安芸へ帰還せざるをえなくなります。

 浦上・宇喜多軍は三好水軍と協力して西部戦線を散々荒らした後、浦上宗景は軍を東へ向け、小寺政職・小寺(黒田)官兵衛達、播磨の反信長派と共同して信長派の別所氏の三木城を攻撃します(第46話)。
 
 話は信長サイドに移った後、再び第52話より備前に戻ります。

第48話 西部戦線異状あり①

戦え!官兵衛くん第48話
 尼子遺臣の蜂起以降、尼子勝久(★)を旗頭に尼子再興を目指す尼子遺臣の快進撃が続きます。
 毛利総帥の毛利元就は、四男の毛利元清を備中(岡山県西部)に派遣し、親毛利派の三村元親とともに宇喜多側の勢力を攻撃しますが、(この時点では)尼子遺臣を応援する宇喜多直家の軍勢に撃退されてしまいます。

 三村元親は永禄9年(1566年)に父親の三村家親を、宇喜多直家に暗殺されていますが、父の弔い合戦で大敗北を喫してしまいます(第14話)。
 三村元親にとって、卑怯な手段で父を殺した宇喜多直家は絶対に許容できない仇敵ということになります。

 しかし、尼子遺臣の大活躍もここまで。
 毛利主力が北九州から転進すると、尼子遺臣は苦境に立たされることになります。元亀元年(1570年)2月の布部山の戦い(ふべやま、島根県)で毛利軍に敗北した後は、尼子遺臣は勢力を弱めていき、最終的に第一回目の尼子再興は失敗に終わります。

 ★尼子遺臣が旗頭にした尼子勝久は、尼子当主尼子晴久によって粛清された新宮党の系統です。したがって、漫画では尼子当主としていますが、自称当主という方が適切でしょう(^^;)

小寺豆腐倒産...

>(株)小寺豆腐/自己破産へ
>豆腐・厚揚げ製造の(株)小寺豆腐(兵庫県宍粟市山崎町)は10月11日事業停止、自己破産申請の準備に入った。
>負債額は約6億円。
>消費不況に対して、納入先のスーパーなどの単価安要請厳しく、採算性を悪化させるとともに、売上高も落ち、行き詰った。
>継続した取引を口実に単価安要請する理不尽極まりないスーパーなどの仕入れ方法である。
 http://n-seikei.jp/2013/10/post-18278.html

 つらいニュースです。
 漫画「戦え!官兵衛くん。」では、小寺政職の顔が豆腐になっていますが、小寺藤兵衛(とうべえ)政職の名前と地元の豆腐メーカーの「小寺豆腐」にひっかけたからです。
 小寺政職の元ネタの小寺豆腐さんが倒産してしまいました...
 従業員、関係者の方は大変でしょうが、がんばってほしいです。
プロフィール

kurokanproject

Author:kurokanproject
NHK大河ドラマ軍師官兵衛の主人公黒田官兵衛を紹介するマンガを描いています。
織田信長や羽柴秀吉といった歴史上の大人物、黒田官兵衛、小寺政職、赤松政秀、別所重宗といった播磨の武将達や、浦上宗景、宇喜多直家、荒木村重、松永弾正といった一癖も二癖もある連中が活躍します。

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ぜひ、第0話から読んでみてください(*^_^*)

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